Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

皇室典範の議論は拙速。

私は、女系天皇については、今のところ賛成できないと思っている。
理由は簡単で、16世紀続いてきた伝統を変えるには、相応の理由が必要であって、その理由が判然としないから。実際に愛子様の配偶者をなんとお呼びしていいか分からないし(過去に例がないから)配偶者に恵まれない可能性だって大だ。(少なくとも、かなり躊躇する婿入り話だろう)そうなれば、皇室は途絶する可能性は大である。果たして、それでよいものかどうか、疑問が解消しないのである。

私がこのように書いたら、「変えちゃいけない理由はないでしょ」と言った奴がいた。物事の道理をわきまえない縁なき衆生である。
当たり前なので指摘しておくが、伝統と申すのは、長い間続いたこと自体に価値があるものである。
去年始まった行事を、誰も「伝統行事」と申さない。ああ、ばかばかしい。
伝統とは、継続することに価値があるので、それを変える場合のほうに、より慎重な議論が要求されるのは当たり前である。伝統を守る理由は「伝統だから」で良く、思考停止で構わないのである。一方、伝統を途絶させる場合にはより説得力のある理由が必要である。

だから、チョウニチ新聞のように「自分のほうが大衆より賢い」と思いこんでいる人は、伝統を変える主張をするんだろう。自分は賢いですよと一生懸命主張しているんである。言わないと誰にも分かってもらえない程度のアタマの良さなんである。いっそ哀れである。

さて。
ちょいと考えてみたいのだが。
実は、天皇神道の祭祀長という側面がある。英国女王が、英国教会の祭祀長であるのと同じで、別に特例ではない。政治は「まつりごと」というが、その祭りと、実務的な統治行為が分離したのが近代国家だから、自然な流れとしてそうなっている。
そこで、である。一つの思考実験であるが、「憲法上の天皇」と「神道の祭祀長」が分離したらどうなるであろうか?

たとえば、の話である。
未来の愛子天皇に息女ができて、この女系天皇が「憲法上の天皇」となり、国事行為の儀式をおこなっているとする。国会に来て文書を読んだりするわけである。
一方、天皇家の一族で、神道の祭祀長が別に男系でいるとする。神道では、祭祀長は男子しかなれないから。よって、天皇家の中では、この人が一族の長である。皇居には賢所があり、そこでは天皇だけに伝えられる秘儀が行われている。祭祀長は、天皇家の中でこの最重要な儀式を行わなければならない。もちろん、3種の神器も、こちらの祭祀長がもつ。国事行為には神器は不用だし、神器は天皇家の財産であり、国家のものではないから、この祭祀長に譲られることになる。

さて、この場合。我々は、いったいどちらを「天皇」だと思うであろうか?

当たり前だが、仮に天皇を「人間宣言」以後、神でなく単に人であるとして考えても、天皇が自然人であることは変わりない。憲法があるから天皇が居られるわけではない。天皇が先に存在し、あとで憲法を作ったのである。自然人たる天皇の地位を、憲法皇室典範で規定しようとしても、それは「法律上の天皇」であって、それ以外の存在にはなり得ないはずである。

つまり、拙速な女系天皇の議論は、下手をすると天皇の分離を招く可能性がある。かつて、祭祀と統治行為が分離したように、今度は法的存在と宗教的存在(伝統的存在と言ってもよい)が分離する可能性がある。そして、このことは、ある大きな混乱を招くかもしれず、その点を憂慮する。

法律で、天皇を決めることはない。我が国の歴史に乗っ取って、天皇の存在のあとに法律を決めれば良いではないか、とも思うのである。