Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

あほらしい馬鹿らしい

自民党の二階幹事長が「皇統の継承は男女平等を」と発言したそうである。

さすが天下の老害であって、アホもここにきわまれり。

その前には甘利氏も女性天皇女性宮家を肯定する発言をしたようだ。

自民党も劣化してきたと嘆息するしかない。

 

そもそも皇室とは「生まれながらに高貴な家」なのであって、そもそも人の「平等」を念頭においた制度ではない。

男女が平等であれば、「人として」「身分によって」平等でなくても良いというのであろうか?

万民平等をほっといて、男女平等を唱えるというのかね(爆)

モノの理屈を考えないタワゴトも、たいがいにしたらよかろう。

 

そもそも、なぜにかような「皇室」なる出生の違いによる身分の違い(=差別である)を肯定するような制度が存在しているのか。

それは、ひとえに我が国の伝統による「例外規定」というものであろう。

欠史八代は作り話であろうが、それでも継体天皇の存在は史料的に明らかなので、我が国の皇室は世界最長の16世紀におよぶ歴史がある。

かかる歴史と伝統があるがゆえに、あくまで「平等」の例外として皇室を認めているのである。

換言すれば、皇室の存在する所以は「伝統」以外にない。天皇陛下も、恐れながら伝統がなければ、ただの気の良いおっちゃんに過ぎぬ話である。

我々が陛下を敬うのは、その背後に積み重ねられた歴史を思うからである。陛下個人のみ対象ではなく、むしろ我が国と一体ともいえる歴史と伝統に敬意を抱いているわけだ。

ハッキリ言えば、平等だの自由だのは結構であるが、それを売り物にする国家はいくらでもあるのであって、しかし皇室だけは日本にしかない。それゆえ、日本人のアイデンティティなのである。

平等が好きだから皇室はいらん、という人は日本人をやめれば良い。いくらでも「平等」を理念に掲げる国はある。お好きなところへどうぞ。

 

顧みるに、過去に女性天皇は存在したが、女系天皇なるものはいない。そもそも「女系」を天皇とは呼ばない。

唯一の危機は道鏡事件であって、そのとき和気清麻呂によって我が国の男系相続は守られた。誰でも知る話ではないか。

 

さて、では現実問題として、男系が途切れたらどうすれば良いのか?という人がある。簡単である。「空位」でよいではないか。

男系であって、我が国の天皇なのである。これが伝統である。

女系なぞという珍奇なシロモノを、人権の平等が理念である現代に作り出す必要はない。「万民平等」をほっぽりすてて「男女平等」を実現しました、といったら吉本新喜劇の世界である。「えーかげんにせーや」

 

天皇の存在の基盤は「伝統」以外に有り得ない。ほかに、何がありますか?

 

天皇のお人柄が良いとか、思いやりがあるとかいうのは、そうでないより喜ばしいが、しかし天皇である必要条件ではない。そんな人は巷間いくらでもいるではないか。その理屈ならば、天皇は日本に万をくだらぬ数がいる道理である。ああ、アホらしいバカらしい。

 

今まで1600有余年を繋いできた方式で、今後も繋げば良いのであり、それだけが天皇の存在価値である。今までそうしてきたことが価値なのだから、当然である。

それが出来なくなったら、天皇制は自動的に廃止である。理の当然ではないか。

ここで珍奇に、まがいものの天皇をつくって喜ぶ趣味は、私にはない。

そんなモノを畏れ多くも「天皇陛下」と呼ぶつもりは、私にはありません。

男女平等よりも、まず万民平等である。

皇統を繋ぐかどうかは、天照大神以来の天意のしろしめすところであって、おろかな「人造天皇」を私は断固拒否する。

ほんものでなければ、いらない。