Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

パイド・パイパー

「パイド・パイパー」ネビル・シュート

主人公のハワードは、70歳の退任した元弁護士だ。物語は1939年。ハワードは、空軍の息子を失い、傷心を癒すために、フランスのジュラに釣りに出かける。そこで、第二次大戦の勃発を知る。
「こういうときは、老兵は自分の国にいるべきだ」
フランスのジュラんまで戦火が及ぶおそれはなかったけど、ハワードはイギリスに帰ることを決意する。すると、知り合いでスイスのジュネーブ国際連盟)で働く夫婦から、自分たちの子供をイギリスに連れ帰ってほしいと頼まれる。
当時、スイスはドイツが侵攻してくるだろうといわれていた。イギリスなら安全だろうと思われたのである。ハワードは、幼い二人の子供をつれて、パリを経由してカレーからイギリスに帰ろうとする。
ところが、女の子が熱を出して、しばらく足止めを食っているうちに、ドイツがフランスに侵攻。マジノ線を突破され、パリ陥落。イギリスはダンケルクから追い落とされる。
ドイツ軍の占領地域を避けながら、ひたすら老人と子供たちはイギリスに向かう。子供は食べるのも遅いし、歩くのも遅い。ハワードの苦労は並大抵ではないのだが、その上、途中でどんどん子供たちは増えてしまう。
そして、いよいよ脱出という段階になって、ついに一行はゲシュタポにつかまってしまうのだが。

戦争になれば、老人も子供も無力である。その無力な老人であるハワードはしかし、ただ約束を守り幼きものを庇護する義務のためにベストを尽くす。けっして声を荒げず、忍耐しながら常に道を探すのだ。

本当は、大人だってつらいのである。子供は、大人はすごくて、全面的に頼りになると思っている。しかし、その大人だって、どうすればいいかわかっているわけじゃないのだ。しかし、決して弱みを見せず、常に誠実に、苦難に耐えて進んでいくのだ。

イギリスでは、こういうのを紳士というに違いない。
日本では、どうもうまい言葉がないねえ。文化の違いだろうか。

評価は☆☆。
難しいことは何もない小説である。ただ、淡々と旅の道行きが描かれる。それが胸を打つのだ。

ところで、ネビル・シュートといえば「渚にて」一作しか知らなかった。核戦争が起こり、直撃を免れた南半球にわずかに人類が生き残る。しかし、放射能がじわじわと広がってくる。最後の日々を待つ人々の小説である。
この小説の中で、ネビル・シュートは「当たり前な普通の毎日の暮らし」がもっとも大事なものであると繰り返し語るのである。
このパイド・パイパーも、まったく同じところにテーマがあると思う。戦争だから、じゃない。戦時下であれば、戦時下のように故国で生きる、それが大事だと言うのである。それを通じてでなければ、平和の尊さなどわかりはしない。

「非常時」などないのである。あるのは「常時」だけなのである。「非常時」を語るものに気をつけなくてはいけない。イデオロギーのことじゃない。わかっていただけるだろうか。