Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

当然の帰結

思わず官僚の本音が出ちゃった「後期高齢者医療制度」の呼称が高齢者の激怒をかい、慌てて「長寿医療制度」と名称変更。ただのごまかしだというので、再び国民は怒り心頭である。
ブログ世論も「ふざけんな政府」の大合唱。

私の父も、実は今年ちょうど75歳。もちろん「ふざけんな」と怒っている。「これぞコイズミのやった改悪だ」という論調である。

けれども、私の心中は複雑である。父に「じゃあ、どうすればいいのさ?」と聞くと「もっと国がちゃんと金を出せ」と言う。その金は、結局私たち現役世代が払え、という話のオチになるのだが。国の収入は、税収か保険料収入しかないんだから。

そもそも、どうしてこのような「改悪」が必要となったのか?以下のリンクが、ちょうど後期高齢者医療制度の発足時の状況をよくまとめている。
http://www.jri.co.jp/press/press_html/2006/070112.html

簡単に要約すると、改悪(!)して、本人1割負担、国その他が5割補助、健保が4割給付とした場合、平成15年度には健保の後期高齢者医療に対する支出金が医療給付金と同額になり、以降は、それ以上に高齢者医療支出金が増えることになる。
結論から言えば「もっと改悪しないと、健康保険制度自体がもたない」というのが、今から見えている未来の姿である。

我が国の医療市場は、だいたい年間40兆円であり、うち30兆円が保険制度によってまかなわれている。
このうち、だいたい10兆円が、75歳以上の老人医療費に使われている。75歳以上の人口は、全国平均で9.6%であるから、ほぼ1割といってよい。
すなわち、国民の税金および健康保険から支出される医療費の1/3を、1割の人口が使っているということになる。
もちろん、若年層よりも、老人層が医療費を多く使うのは当然であるのだ。

で、問題は少子高齢化の進行であって、このまま75歳以上の人口は毎年上がり続て、平成15年には15%を超すことは確実である。従って、30兆円の医療費のうち、半分はこれで使われると考えなくてはならない。
健康保険が老人医療費を国と半分づつ拠出する旧制度でいくと、この時点で老人医療に対する支援金が現役世代に対する支出金を上回り始める、ということだ。
支出の過半が、「加入者」ではない老人に使われることになるので、これはもう「組合」の名に値しないのではないか。
一方で、肝心の加入者は、これから減り続けていくのである。今でも赤字体質の政管健保や、採算悪化によって解散する保険組合があるというので、このままではよほど国庫助成金を増やさないと健保制度そのものが成り立たなくなってしまう。
ちなみに、「改悪」前は、健保負担が1割多いから、もっと状況は悪くなることになる。

私見であるが、さらに踏み込むと、最近の医療崩壊にも、この問題は連鎖している。
産婦人科や小児科、救急外来などに医師が来なくなって問題だが、それは病院に医師が来なくなったということである。
医局制度の崩壊によって、教授の指名で病院に行かされるケースがなくなった(白い巨塔ですなぁ)ことは大きく、一方で医師が開業しやすくなったことがあるのでないか。
病院勤務の医師の年収は、上下はあるがだいたい1500万円から3000万円弱くらい。充分な高給と思われるかもしれないが、医師資格をとった彼らにしてみれば、それでは合わないのである。
訴訟リスクをかかえつつ、休日も睡眠も削って得た収入と考えると、大してうまみがないのである。
そこで、ベッドを持たない診療所を開業する。そうすれば、その程度の収入は楽に得られるし、リスクは少ない。ベッドがなければ急患もないし、ちゃんと休診もでき、プライベートな時間もとれる。
考えてみてもらいたいのだが、待合室をちょいとばかし「近所の年寄りの社交サロン」として解放すれば、この収入が得られるのだ。幼い子供とちがって、老人の病気は急変しにくい慢性症状が多い。それでも薬を出しておけば、保険料はちゃあんと入る。
自らの命をけずり、医療リスクを抱えて、小児科だの産婦人科だのやらなくても、老人相手に気楽な医院をやっていれば、保険制度のおかげでのんびりと豊かに暮らしていける。病院なぞに行って苦労するのは馬鹿馬鹿しい、誰が考えてもそうではないか。

人間の大勢は、ちゃんとそのときの状況を判断して、もっとも利得が多いように動く。わざわざ損をしたがる者がいるわけがない。当たり前のことである。

だけど。
問題は、選挙である。老人は投票率が高いし、そもそも人口も、少子高齢化で多くなるのである。だから、老人に不利な政策を行っては選挙に勝てない。
いかに、制度を「改悪」(笑)しようとしても、うまくいかなくなるのではないか。
すると、目先に口当たりの良いことを並べた方が得策というものだ。

じゃあ、結論はどうなるのか?簡単である。選挙権のない者、つまり「子供」に負担を押しつけるのが一番得策なのである。
すなわち、もはや十八番の「先送り」して「赤字国債発行」しかない。
その結果、ますます財政の先行きは悪化し、ますます国民年金の未納が増え、ますます若者は子供を作らなくなり、少子高齢化していく。
もちろん、そうしてどんどん老人の発言力が高まるのだ。この繰り返しが、止まる要素がないんだからね。

人間の大勢は、ちゃんとそのときの状況を判断して、もっとも利得が多いように動く。わざわざ損をしたがる者がいるわけがない。当たり前のことである。