Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

天皇制批判の常識

天皇制批判の常識」小谷野敦

天皇制批判の言説を概括し、それに批判を加えていきつつ、最後に残ったものは「差別はいけない」というシンプルな原則だった。これは民主主義の原則でもあるわけで、この原則をふまえる限り、天皇制は批判を免れない、というのが著者の結論である。
論理は明快で一貫しており、特に違和感を持つようなところはない。
もう一つ言っておくが、天皇制批判というトーンではあるが、特別に左翼的な主張でもない。

著者の主張をいくつか紹介しておく。
まず、天皇制批判というと必ず引き合いに出されるのが「戦争責任」であるが、これを著者は否定(それも、かなりこてんぱんに)する。
当時の文献をあたると、実際の天皇に軍部を停戦させるだけの力はなかったと認めざるを得ない。次に、戦争を行ったこと自体に責任を問われている国は他にない。
仮に、なにがしかの責任が天皇にあるとして、それが今の天皇とは無関係である。父親が犯罪者だから子どもに責任がある、というのは未開社会である。もしもそうなら、そのような未開社会制度を応用しようという考え方そのものは、とても反動的なものであるといえる(爆笑)。
さらに、フェミニズムについても、同様に批判を加える。
フェミニズムに特に見られる主張として、女帝容認論がある。そもそも、天皇制自体は「生まれつき、他の人とは異なる人」を容認する差別の制度ではないか、と著者は指摘する。男女平等、というのは、生まれつきの差別を許さない思想であるはずだろう。その男女平等思想が、天皇制という不平等思想を「女帝なら良い」などと主張するのは、思想的一貫性に欠けるという指摘である。
もっともである。

一方で、右翼あるいは保守主義の思想も批判対象となる。
真に天皇制が歴史的産物であるなら、まずもって天皇を法律で決める必要はないはずである。
天皇という存在を国民が広く認知したのは明治以後であろう。江戸期まで、多くの国民は天皇の存在自体をよく知らなかった人が多数と思われる。そうであれば、この制度を日本の伝統制度と言うにはムリがあるだろう。
また、確かに天皇という存在があることで、皇室外交に見られるように日本という国家に役立つ側面はある。しかしながら、そのために、皇室は公民権すら奪われ、毎日スケジュール管理されている。生まれつき、そのような状態であるから、これを容認する憲法は人権上問題がある。法の下の平等が人類普遍の原理であるなら、天皇制は不適当である。
さらに、天皇という存在があるおかげで、他の人民の平等が守られるという主張に関しては、古来皇室とつながりの深い一族が権力を掌握した例はいとまがないし、そのように一部の人の犠牲のもとに全体の平等を確保するという制度が許されて良いわけがない、と指摘する。

詳しくは本書をお読みいただきたいが、著者は丁寧に天皇制に関する主張を逐条論破した上で、最後に「差別はいけない」というシンプルな原理にさかのぼり、これだけは否定しえないとする。

読みやすいし、なるほどと思う箇所が多い。評価は☆☆である。読んで損はないと思う。知的な刺激があるからである。

私自身は、やはり天皇制支持である。
上記の議論には、ある視点が欠けている。それは「平和」という視点である。
出版社あるいは著者がそれを理解しているのだと思うが、本書の帯には「平和であればそれでいいのか?!」という惹句がある。
はっきり言えば、天皇制は平和にはたいへん有効であり、そのためには私はある程度の犠牲は仕方がないと考える。
思想的な一貫性でいえば、それは共和制のほうが良いのかもしれないと思う。
しかし、私自身は、平和に生活できれば、思想的に矛盾していても痛痒を感じないほうだし、そのために私権の制限はある程度認められると考える。
かつて、私は、皇室典範の改正問題に際して「確実に史学上遡れるところで継体天皇から1400年続いた天皇家の存続に皇室典範上の問題があるというのなら、それはたかだか60年しか経っていない法律の出来が悪いに決まっている」ので「皇室典範などなくせばよい」と主張した。
法律がないうちは出来たことが、法律が出来たらうまくいかなくなった、ならば法律は不要ではないか。当然の論理である。
そうすると、憲法問題も絡めて、これは憲法からも天皇を削除すればいいじゃないか、となる。天皇は、法律の下の存在ではないからである。
そうなれば、見かけ上は共和制になる。これは著者の主張と重なるのである。
私は憲法を有り難がる性質はないので、今のままだと皇室を尊敬しているのか憲法を尊敬しているのか分からないから、憲法に書いてなくても皇室に対する尊敬の念を持つ方が純粋であるということは理解する。
ただ、いざとなった時、つまり「平和でなくなった場合」というものは、やはり憲法天皇が明記してあるほうが都合がよい。
法学的には「憲法制定力」と「憲法上の主権」は異なるものなので、憲法制定力として天皇があれば足りるのであるが、安全策を考えると、書面になっていたほうが都合がよい。
であるから、立憲君主のほうがいいのではないか、という考えである。言い方を変えると「平和でなくなった場合の保険として矛盾を残しておこう」ということである。
思想的な矛盾は百も承知なのだが、政治問題とはそういうもののように思うのだなあ。