Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

2050年は江戸時代

「2050年は江戸時代」石川英輔

近未来の話を書いた、いわゆるSFである。けっして怪しげな予言本ではない。

石油が乏しくなってきた世界で燃料費が高騰、日本得意の自動車も売れなくなる。電化製品も、電気代が高くなると売れなくなる。
我々が「高度な文明」といっていたものは、たかだか発見後100年程度の石油によっていたもので、石油が乏しくなると飛行機も飛べない。
(ハイブリッドもモーターも、飛行機を飛ばすことはできず、化石燃料だけが航空機燃料であるのは事実)
石油の枯渇という事態を迎えて、世界は再び広くなってしまう。

で、国際競争力を失った日本は、輸出シェアを途上国に奪われていき、海外脱出する日本人も増え、一方では凋落国家であるから海外移民もやってこない。
ふと気がついたら、2050年の時代では、みんなが自分達の食料を生産する仕事に従事していた。ふたたび「自給自足の農業国家」になっていた、という設定の話である。
小説の中では、もと機械メーカーの技術者で、鍛冶屋を営む古老の話という形で、このゆっくりとした変化が語られる。
その話の中で、我々現代人が「豊かさ」だとか「先進技術」だとかいってもてはやしているものが、いったい何の意味があるのか?を問いかけるような内容になっている。
都会で食料を手に入れるために、常に労働しながら金銭を手に入れなければならない生活と、地方で自分の食べ物を自分の土地で作りながらの生活では、安定感が違う。
都会で皆が働くと、快適な賃貸マンションの家賃は高く、それもまた稼がなければならない。表面が豊かな生活は、実は不安定な生活そのものではないか。
しかも、それらの文明は、石油の力で成立している。
我々が「人類の進歩」だといって誇っていた文明は、実は人類の力ではなく、たんに石油の力だった、、、というオチである。

評価は☆☆。なかなか面白い小説だと思う。
ただし、江戸時代を、あまりユートピア的に語るのもどうか、と思わぬではないんだけどね。

食生活が健全になり、肉体労働が増えたので、みんな健康になり医者がヒマになった、なんて話がその典型である。
その論理が正しいなら、江戸時代の人間のほうが長寿であったという結論にならなければならないのだが、事実は逆である。
高度な医療器具や抗生物質をはじめとする医薬品が人間の寿命を延ばしたのであり、これらには石油が必要不可欠である。
また、江戸時代の人口は3000万人であるが、確かに現在の反あたり収量は江戸時代よりも増えている。それでも2倍がせいぜいである。
これは、長期にわたる甲斐国巨摩郡や伊豆田方郡の記録に詳しい。
戦後の収量の大幅な増加は、品種改良と何よりも化学肥料や耕耘機などの石油を使った能率化にある。
専門家の予想では、もしも石油を使わない農法に戻ってしまったら、品種改良の成果のみで江戸時代との比較になり、せいぜい50%の収量アップしか期待できないのではないか。
すると、江戸時代並のカロリー摂取でも、4500万人しか食えないことになる。
たいへんな飢餓地獄である。
江戸時代だって、事情は変わらなかったので姥捨てや間引きが行われた。あまりユートピア幻想を持つものではないと思う。

食料安保というと、農水省の利権確保の陰謀であり、食料などはカネがあればいくらでも買えるという議論が出てくる。
しかし、本書にも指摘がある通りで、ウルグアイラウンドなどの農業交渉には輸入国の自由化義務があるが、逆に輸出国に輸出義務はない。
自国の食料が不足した場合にはいつでも輸出をやめてよいのだし、事実、大豆や小麦などでそういう事例は過去にたくさんあった。
あまりに都市化したアタマでものを考えていると、いつか危ないことになるのではないか、と思うのですなあ。