Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

自転車事故について

子供のせ3人自転車を認めるときに、安全性の問題は指摘があった。
しかしながら「少子化の折、子育て中の母に考慮する」との判断で、認可となったいきさつがある。
で、懸念された事故は、やはり起こってしまった。
この母親のご無念を思い、ただただお悔み申し上げるばかりである。

ところで、この事件について、ヤフーのコメントを見ると「運転手は悪くない」という論調ばかりである。
運悪く倒れこんだ自転車の子供を、死角になっている大型車が轢いてしまった。これは不可抗力だろう、というわけだ。
なるほど、と思う。
ところが、その運転手擁護に熱心なあまり、母親を批判するのはどうかと思う。
そもそも3人乗りがいけないとか、逆走がいけないとか。はては最近の自転車の道交法違反がいかん、というのもある。
話がちがいすぎである。

まず、トンデモナイ見当はずれに
「これでも車道が安全だというのか」
というコメントがあった。。。当の事故は、母親が歩道を走行中に、前から来た自転車をよけようとして転倒し、車道に子供が投げ出されて起きている。ゆえに、車道走行とはなんら関係がない。何を考えているのかね?(ため息)

次に、3人乗り批判。これもおかしい。当該の車両は、法律上の3人乗りの規則を満たしている。先に述べたように、3人乗りを認可してしまったのだから、政権に問題はあろう。(少子化対策子育て支援とのバランスでの政治的決断)母親に責任がないことは自明である。

次に、逆走の問題。これは思わず納得しそうになる話だが、これも違う。
車道と違って、歩道には、逆走の定義がないのである。
そもそも、右左は何を基準に決めるのか?それは「センターライン」である。車道は左側通行であるので、自転車もこれに従い、センターラインから左側の車道の端を走る。ところが、くだんの母親は歩道を走っている。歩道には、そもそもセンターライン定義がなく、逆走してもいいのである。よって、これも間違い。

あえていえば、不幸な事故である。
もう一ついえば、母親転倒の理由となった「正面から来た自転車をよけようとして」は、歩道の逆走がない以上起こる話で、そうすると狭い歩道からいきなり車道に膨らむことになり、この瞬間に逆走状態になったかもしれない。
安全性を考慮するならば、この母親は、もとより車道の左側を走行すべきであった。
自転車は低速になればバランスを失って転倒しやすいので、スムーズに走れる車道のほうが安全である。
その車道は、現場は一車線で狭いので、自動車によって占拠されて、その結果、自転車が歩道に押し出されていたものではないか。
だとすると、どの程度の大きさのトラックかわからないが、路地のような狭い車道には進入禁止にすべきだったかもしれない。

以上、本件事故に対する世評のハズレっぷりをみて感じるのは、そもそも、自転車の交通法規を知らないという問題である。
はっきりいえば、狭い道で、自転車が我が物顔で走ることで、自動車は「走りにくく」なる。
それは当然なのだ、ということなのである。
市街地では、自動車はそもそも「不便な乗り物」であるべきだ、という了解が、みなにできないと、この問題は再び起こる。
はじき出された歩道の自転車がよけるために、再び車道に膨らんで転倒するからである。

最初から自転車に車道を走らせて、自動車には不便を耐え忍んでもらう。自動車はきっと自転車を「邪魔だ」と思う。自転車は、自動車を「邪魔だ」と思っている。さて、乗っているのは同じ人間である。自動車に乗っている人間の「邪魔だ」に頷き、自転車の人間には「違う」という理由はない。

なにしろ、自動車は座っているだけで、走ってくれるのだ。車のドライバーも、自転車の乗り手も、同じ人間である。上下関係はない。(あれば、法の下の平等を定めた憲法違反)
であれば、楽をしているほうが、少し我慢するしかないんだ。

当たり前のことがわからん人が多い限り、また事故は起こる。
運転手を擁護して、母親を批判する人は、いったい何を守ろうとしているのか?
私には、それが日本の国益とは、まったく思えないのであるけれども。