Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

自転車の安全鉄則

「自転車の安全鉄則」疋田智

自転車ツーキニスト疋田氏の最新刊。
今や、ガソリン高騰のあおりもあって、首都圏はちょっとした自転車ブームだが、その仕掛人がこの疋田氏だと思う。

自転車にとって最大の問題は「いったいどこを走れば良いのか」である。早い話が、自転車は日本の交通行政のママコなのだ。
歩道では歩行者の邪魔、車道ではクルマの邪魔だということで、まさにデラシネ状態、わが人生は自転車のよう、てな具合である(笑)。
しかし、ここでひるんではならない。
疋田氏は、今の自転車ブームをただのブームで終わらせないために、まさにど真ん中の直球勝負、まるで藤川球児のごとき渾身のストレートな主張をするのである。いわく「自転車は、車道の左側を走れ。いや、歩道であってもだ」である。

この主張には根拠がある。
まず、日本の道路交通法では、基本的に軽車両は道路の左端を走るべきと決まっていること。歩道を走るのは、あくまで自歩道とよばれる「特別な標識のある道路」だけである。
もはや超高齢化社会であり、かつ少子化によって子供を大事にしなくてはならない日本国のとるべき交通政策はなにか?
回答は、まず最優先課題として「もっとも弱者たる老人、子供に安全な通行を確保する」ことしかあるまい。
法令上では、自転車が歩道通行するときは、徐行をしなければいけないことになっている。しかし、その実態はどうであろうか?ただの「マナー違反」ではない。歩道の傍若無人な爆走は「法律違反」である。厳重に取り締まってしかるべし!

さて、そうすると、自転車はどうなるだろうか?答えは簡単で、車道を走るほかないのである。そうすると、今度は「クルマから見れば邪魔である」という意見が台頭する。当たり前である。
ここで、疋田氏は敢然と言い放つのである。「邪魔なのは、お互い様である。クルマ諸君よ、君らは自転車から見れば邪魔である」「そして、昨今の情勢を鑑みると、今やクルマを優先すべき特段の事情はない」。この主張は、世界的な「シェア・ザ・ロード」(道路はみんなのもの=クルマのものではない)に呼応する。

日本の場合は、先進国の中で唯一、歩道走行可という(野蛮な)政策のおかげで「ママチャリ」という特殊な車種が町にあふれてしまった、という特殊事情がある。
世界第3位の自転車大国でありながら、自転車の速度がもっとも遅く、もっとも近距離しか走らない日本の自転車の代表がママチャリだからだ。「あのママチャリで、車道を走れというんですか?」
疋田氏は、ここで蛮勇をふるうのだ。「その通りだ。車道を走るべきだ」
ちょっと前に「3人乗り自転車」が話題になった。子供を前後に乗せた自転車がいかに危険か、言うまでもない。しかし、母親は、現実に自転車を必要としている。
子供に安全な、転倒しない自転車は「3輪式」が有力であり、メーカーも鋭意開発中だ。
しかし、この3人乗り自転車の前途は明るくない。難点は2つ。
1に価格である。3人乗り国産自転車の価格は、おそらく5万円を超えるだろう。7,8万円するだろう。1万円の中国製ママチャリに慣れた日本人が、果たしてこの自転車を買うか?
2に、この自転車は、横幅が大きくなることだ。つまり、歩道走行はムリだろうし、こんなものが歩道を横行したら、歩行者の交通はおぼつかなくなる。
すべては貧しい日本の道路行政の行き着く先なのだが、しかし、これは「車道の左側通行」というルールの徹底によって解決可能なのである。
その間、自動車は、自転車をよけて走るしかない。
自転車のドライバー、自動車のドライバーに、再度交通法規をきちんと守らせるのが、もっともお金のかからない現実的な方法である。
そうすれば、今や先進国中最悪の自転車事故も減らせるだろう。
自転車の死亡事故の大半は、自動車との「出会い頭」による衝突である。歩道から出てくる自転車を、自動車が視認することは難しい。
自転車の車道走行を徹底すれば、年間400人の死亡事故を減らせるだろう、と著者は言う。

評価は☆☆。ひさびさに疋田節炸裂、である。ストレートな思いが伝わってくる。まことに良書であります。

最後に、ちょっと本書の中で触れているのだが。
自転車活用は、実は「地域再生」「中心街活性化」に非常に有効なのだそうだ。
その反対の失敗例が水戸市である。水戸市では、さびれていく中心街を活性化しようと、町のあちこちに駐車場をつくった。自動車が通りやすく、来店客の便宜を図れば、お客は戻ってくるだろう。。。
そして、結果はまったく反対だった。町は、ますますシャッター通り化したのだ。自動車にとって便利な町は、ただの通過する町と化してしまったのだろう。買い物客は人であって、クルマが買い物をするわけではない。
ここで私見だが、東京で庶民的な町である十条や赤羽の商店街は、逆に活性化がうまくいった例であろう。
ここを歩いてみると分かるが、アーケードがあって雨天でも買い物ができるほか、なんと見事にクルマが排除されている。もちろん、歩行者天国の中を暴走する不心得な自転車に眉をひそめることがないではないけれども、クルマにとって不便な町は、逆に歩行者を集め、彼らがお金を落としていることがわかる。
老人の買い物客も非常に多い。子供も歩いてる。これが町だ、と思う。
郊外のショッピングセンターに人が行くのは、そこでクルマを降りたら、センター内がクルマの来ない安全な町になっているからだ。老人も子供も安心して歩けるからだ。
脱クルマ、をどう設定するか、間違えなければ、町の再生は可能なのではないだろうか。

最終章の地場活性化につながる、これらの提言は、たいへん興味深いものだ。
できれば、本書を、心ある政治家の皆さんに読んで欲しいと思った。
サドルから見える風景も、また一面の真実を語っているのである。