Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ゾルゲ 引き裂かれたスパイ

ゾルゲ 引き裂かれたスパイ」ロバート・ワイマント。

昭和史を揺るがせたスパイであるゾルゲについて、ソ連崩壊によって明らかになった情報や日本での最期の愛人エタによる証言なども取り入れて書かれた本である。
たいへん興味深い。

物語の冒頭は、ゾルゲが飲酒運転でバイク事故を起こす場面で始まる。
このとき、ゾルゲは致命的なミスを犯すのである。
仲間の無線技師に、万が一のことを考えて、暗号を教えるのだ。
これによって、無線技師は報告や本部の指示を解読できるようになった。
そこで、技師は「手抜き」を考え出す。ゾルゲの報告を大幅にはしょって手数を節約するようになるのだ。
これが、のちに致命的な連絡漏れを引き起こす。

ゾルゲはドイツ人として第一次大戦に3度も応召して戦い、足に砲弾の破片を受けて大けがをする。
この「名誉の負傷」がゾルゲの武器だった。
戦場経験のあるドイツ人同士となると、たちまち意気投合し、親友になってしまうのである。
この手を使ってゾルゲは日本のドイツ大使館に潜り込み、大使のオットから絶大な信用を得る。
しかし、実はゾルゲは大戦後に共産主義者に転向し、モスクワで赤軍の指示によって動くスパイになっていたのである。
ゾルゲは、上海で出会った有力な朝日新聞記者の尾崎秀美と意気投合し、尾崎の国際政治に関する深い洞察を得ていた。
その情報をドイツ大使館に提供し、見返りにドイツが握っている日本の情報を引き出した。
それらをソビエトに報告するのがゾルゲの任務である。
ゾルゲが「二重スパイ」と言われるのは、ナチスドイツに日本の情報を提供し、代わりにドイツの日本情報を引き出し、それをソビエトに送る見返りに、多少の情報をドイツに与えたことがある。
ドイツの立場でスパイをしながらソビエトのスパイをする、ということである。

ゾルゲは、スパイ活動をしながら、ヒトラー独ソ戦開戦の情報を掴む。超一級の情報だった。
ところが、スターリンはこの情報を無視する。ゾルゲは日本で酒と女にうつつを抜かしてカネを使うばかりの役立たずだ、と放言していたのである。
独ソ不可侵条約もあり、当時のドイツは英国と戦争をしている。
したがって、スターリンはドイツについては安心して、ポーランドの油田地帯を押さえる兵を派遣していたのである。
しかし、ヒトラーは対英戦で資源不足から苦戦しているところで、逆に一気に東側の資源地帯を押さえてしまい、その資源で英国を討ち取る、というプランを実行するのである。
ドイツ大使のオットは、日本にシベリアを突くように何度も工作する。この動きから、ゾルゲは独ソ開戦を掴むのだ。
日本はしかし、熟柿主義の方策をとる。
何もシベリアで苦労しなくても、モスクワが落ちれば、勝手にシベリアは弱体化するではないか。そのときに取ればいい、と判断するのである。

スターリン電撃戦でモスクワまであとわずか、というところまでナチスドイツに攻め込まれる。事前に情報があったのに、大失態である。
政敵をすべて粛清したスターリンだが、ゾルゲこそはこの「大失態」を知っている人物である。
そこで、スターリンゾルゲに帰還命令を出す。表向きは褒賞ということである。しかし、ゾルゲはこんなことで騙される男ではなかった。
帰還すれば殺される、と悟って、この命令を拒否するのである。

ゾルゲは、更に日本の動きを探り続け、尾崎秀美を通じて御前会議の結果を入手する。
「日本は北進せず、南進す」
しかし、この決定的な報告は、無線技師の怠慢で遅れてしまったらしいのである。

やがて、ゾルゲは末端女諜報員の北島が逮捕されたことをきっかけに、尾崎ともども芋づる式に逮捕。
絞首刑に処せられた。


本書を読むと、戦前の大日本帝国の動きが鮮明になる。
ゾルゲが特に尾崎を通じて北進策を日本に取らせず、南進策を進めるところも出てくる。
ただ、実際には尾崎が指摘したように、シベリアには何も資源がないのであった。
仏印駐留をきっかけにABCD包囲網を食った日本は、シベリアを占領する手はもはやなかった。
日本が北進するとしたら、ゾルゲが指摘したとおり、ドイツがモスクワを落としたとき(そして、あと1ヶ月ドイツの動きが早ければ、それは出来た可能性が高い)だったであろう。

評価は☆☆。
昭和史に興味のある人は、必読ではないかと思う。

ゾルゲは、帰るところを失った男だった。
ドイツにも帰れない。ソビエトに帰れば政治犯で粛清である。日本では、いつスパイが発覚するか、常に気を配っていなければならない。
いつかは破綻する人生を歩き続けた哀れな男だった。

ゾルゲは裁判で、こう主張したそうだ。
「私は、日本では罪を犯していない。私がしたことは、日本がソビエトと戦争することを防ごうとしたのである。平和のためにやったのである。日本の利益を損なったとは言えない。よって、私は無罪である」
むき出しの国益の前には、一人の男の言い分など、風の前の塵と同様なのは言うまでもない。

ゾルゲは、尾崎と同日に、尾崎が処刑された刑場で、それから一時間も経たないうちに絞首刑となった。
最期は淡々としたものだったらしい。