Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

新自由主義の復権

新自由主義復権」八代尚広。副題「日本経済はなぜ停滞しているのか」

新自由主義というと、最近は人気がない思想である。「小泉改革は間違い」であり、「TPPはアメリカの陰謀」であり、「年次要望改革書」は米国政府の日本に対する指令なのだ。(ということだ)
ありていにいって、こんなタイトルの本を出すのは、世間に喧嘩を売るようなものであろう(苦笑)。

本書のテーマは、実はむしろ副題にあって、なんで日本経済は停滞しているのか?ということなのである。
たとえば、昔ながらの護送船団方式の銀行にして、年功序列、終身雇用の賃金にして、各種業界をキッチリ参入規制で保護したら、日本経済が復活しますか?ということだ。
それはないんじゃないの?というのが、本書の立場である。
むしろ、小泉改革の不徹底さ(もちろん、その後の政権による逆コースも)が、現在の長期停滞を招いたのだ、というのが本書の主張だ。

たとえば、有名なタクシーの規制緩和については「台数規制は緩和したが、料金規制は撤廃しなかった」ことをあげる。
そうすると、台数を増やしても、料金は一律横並びなので、運転手の給与を下げまくって台数を増やせば、料金的にチャンスは平等なので、会社としては利益がとれるのである。
これが料金も緩和されると、当然に「激安タクシー」が出現し、市場において指名を争うことになるので、経営に失敗した業者は退場することになる。
そうすれば、おのずと適正な水準に台数も報酬も落ち着くことになり、市場全体から見た場合に、労働力がタクシー業界に偏るようなことはなくなっただろう、というのである。

また、新自由主義については、「市場の失敗」をあっさりと認め、その是正のために政府機能が重要だとしている。
これは順番の問題で、最初から政府コントロール下におけば「政府の失敗」が避けられないので、まず市場の自由に任せ、失敗したものだけを政府が規制することを勧めている。
そういう意味では、いわゆる「市場原理主義」とは、少々毛色が異なる主張である。

評価は☆。
盲目的な市場原理批判に対する強烈な反論もあって面白い。
たとえば「アメリカの企業が、日本の郵便貯金を食い物にしようとしている」などという陰謀論に対しては「そんなに儲かるなら、日本の企業が買えばいい」という。
そりゃそうだ。

私が思うに、リーマンショックではなく、特に東日本大震災から、新自由主義は人気がなくなったのではないか、と思う。
自由主義経済とは、早い話が「各人が、自分のトクになることだけを考えていれば、自ずと世の中が良くなる」という考えである。
言葉を悪く言えば、エゴイズムを恥ずかしく思わないための理論である。
あれだけの事態に直面して、助け合わなくては生きていけない状況に陥ったとき、説得力のある論理ではないだろう。
だから嫌われるのである。

しかし、テーマを戻すと「日本経済はなぜ停滞しているのか」だ。
少子高齢化だからというが、そもそも、OECD加盟国の中で「一人あたり生産性」は落ちる一方である。
数の問題ではなくて、質が下がり続けているのである。
もはや、日本企業は「世界が欲しがる商品」を生産できなくなった。
正確には、できるのだが、中国や韓国の商品と差がほとんどなくなった。であれば、安い中国や韓国の製品が売れる。
かろうじて自動車が売れるだけだが、それも為替次第である。
韓国車と値段がほぼ同じなら、なんとか売れるが、それよりも高くなってくると売れない。
だからトヨタは下請けを徹底的にコストダウンで絞る。それしかないのである。
これでは、稼ぐことはできない。
デジタル家電も負けているし、チップは会社がアメリカ、生産が中国やマレーシア、チップの設計はインドだ。
ソフトウェアも米国、インド。
どこにも日本の入る余地はない。いつまでも30年前の「ものづくり大国」だと思っていると、トンでもないことである。
今、日本が稼げる産業分野は、なくなってきているのだ。
国内市場で多くを占めるのはサービス業だが、これは過剰サービスがブラック企業を生み出している。
タコツボ化した市場の中で、労働力の流動性がないので、労働者に不利な会社がふつうに生き残ってしまい、淘汰されない。
かくして、非正規雇用は苦しむ一方で、正社員はいまだに強固な解雇規制に守られている。
労組連合のいう「労働者」に非正規社員は入らないのだ。
企業は、正社員を雇うと不利なので、非正規ばかりを雇用する。そのほうが合理的なのである。

市場原理主義で考えると、当然に「いつでも契約を解除できる」非正規雇用のほうが正社員よりも経済的利得が高い。
だから、非正規雇用のほうに、より高い給与を支払うのが合理的である。
しかし、現実の市場は規制があって、その反対になってしまう。

そもそも、年功序列終身雇用制度は、戦後の人手不足の中で、長期雇用を確保する必要があって生まれた制度で、一部の製造業大企業で導入されただけである。
全労働者人口の8%程度しか、その対象ではなかった。それが日本的雇用の強さのわけがない。
そして、世界が変わったので、その制度ではやっていけなくなっただけである。

はっきり言えば、「稼げなくなったから」色々な制度も規制も、維持できなくなった。
小泉改革は、原因ではなくて、結果なのである。
原因にしたい人は、自分たちが稼げなくなったのを、他人のせいにしたい人たちである。
言うまでもないが、他人のせいにしたところで、稼ぐ力が戻ってくるわけがない。
いい加減に、責任逃れをやめて、謙虚に己の実力を見直して、再び価値のあるものを提供できるように頑張るしか、道はないのである。
いくらお札を刷っても、競争力が増すわけではないのだから。