Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

脱出記

「脱出記」スラヴォミール・ラウィッツ。副題は「シベリアからインドまで歩いた男たち」。
あまりにすごい副題なので、思わず購入。

この物語はノンフィクションであり、著者のラウィッツ氏の回想記である。つまり、主人公「私」はラウィッツ氏自身、だ。

著者は、もともとポーランド騎兵である。このあたりを時代背景を頭に入れて読まないと意味がわからないのだが、ポーランドソ連とドイツに分割されたとき、ポーランドのロシア国境付近出身のラウィッツ氏は「反共スパイ」の容疑で秘密警察に捕まってしまうのだ。
ある日、なんの疑いかわからないまま強制収容所に収容された著者は、想像を絶する拷問を受け、無実の罪の自白を迫られることになる。
煙突のような部屋に何ヶ月も監禁し(すわることもできず、立ったままで垂れ流し、である!)熱したタールを手にかけられる。その苦痛はすさまじいもので、タールは熱を発しながら皮膚にくっつき、流れ落ちもせずにやがて骨まで達してこれを灼くのだ。
そして「スパイ行為を認めろ」「書類にサインしろ」と迫られる。それでも頑強に拒否した著者は、ある日薬物を投与され、夢うつつのまま書類にサイン。すると、ただちに人民裁判にかけられる。
判決は25年の強制労働であった。そのまま、家畜用貨車でシベリアに送られる。

そこで、強制労働しながら、刑務所長の婦人の手引きで7人の男とともに脱走。
酷寒のシベリアを、調達した毛皮でしのぎつつ、雪洞をつくりながらバイカル湖まで逃走。そこから、さらに進路をモンゴルのラサにとることに決める。
当時のソ連の状況を考えると、西に抜けることは不可能であったろうし、東に抜けて日本に辿り着くのも、カムチャッカは監視が厳しくてムリだろうという。だから、南下するしか道がないわけである。
それに、シベリアの移動は夏以外はできない。短い夏の間に、なんとか南に抜けるしかないのである。

やっと辿り着いたモンゴルであったが、そのあと、おそるべきゴビ砂漠がまっていた。一行は渇きに苦しむ。
途中でオアシスを見つけるが、なにしろ水をもっていく装備がないし、食料もないのだ。ついに、砂漠で唯一見かける動物、ヘビを捕まえて食べる生活になる。この頃になると、脱落者が出始める。ある日、足首がぱんぱんに膨らんで歩けなくなり、急激に死ぬのである。

恐ろしい砂漠を越えて、ようやくチベットに入ると、一行は言葉も通じないチベット人達から親切にしてもらう。
さらに南下して、インドへ抜けることを考える。そのまま西にバルカン半島へは行けない情勢であった。ナチスの嵐は、まだ吹き荒れている。
中国方面は、コミンテルンの支援を受けた中国共産党が跋扈している。インドにいくより他にない。そうすると、ヒマラヤを越えるしかないのである。
一行は、ろくな装備ももたずに、ヒマラヤ越えに挑む。
ここでも、やはり脱落者を出すことになった。そして、ヒマラヤの山中で、不思議な動物と遭遇する。

ようやくヒマラヤを越えた3人の男は、ついにイギリス軍によって保護されたのである。

評価は☆☆。読みだすと止まらなくなる。
もちろん、脱出行のとき、誰も筆記具は持ってないのだから、これは回想記である。カレンダーもないので、記憶があいまいな部分も多い。
しかし、それがこの手記に、異様なリアリズムを与えている。人間は、こうしてまで生きようとするものか。後半になればなるほど、そういう彼らの営みが「かわゆげ」であり、涙が出てくるのだ。
冒険記としては異端であろうが、一度読んで損はない。

異様な迫力にむしろ驚いたのは、彼らがイギリス軍に保護されてからの入院生活を描いた終章の部分であった。
自分では大丈夫だと思っていた著者だが、入院した途端に、ひどい心身のダメージが表面化する。
給食のパンを寝間着に隠さないと安眠できない。夜中にわけのわからない叫び声をあげる。著者自身、1ヶ月の入院期間の記憶がないそうだ。
あまりにも限界を超えた旅をしたために、心身はとっくに疲労の極を越えていた。彼の不屈の精神は、実はぼろぼろだったのだ。
狂人のごとき生活を過ごした後、徐々に落ち着きが戻ってきて、著者は正常に復帰した。
そして、再びポーランド兵士として、ナチスと戦いに行くところで、戦争が終結した。著者は、イギリスに居住することを決めた。故知ポーランドは、東側に組み込まれてしまったのである。

物語の中で、一行を救っているのは、言葉も通じないモンゴル人やチベット人達である。
毛皮をまとい、同じく毛皮のモカシンをはき、よろよろと進む一行に彼らは最大のもてなしをしてくれるのだ。時には彼らのため、ヤギや羊が屠られる。
そういう支えがなければ、彼らはとっくに全滅したに相違ない。

すっかり都市化してしまった我々の生活とはいったい何か?そんなことも考えさせてくれる一冊である。