Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

早雲立志伝

「早雲立志伝」海道龍一朗

若き日の北条早雲が、伊豆・相模に地歩を築くようになるまでを描いた物語である。
私の子供の頃は、北条早雲は「素浪人から身を立てた」という話で、美濃の斎藤道三と並んで立身出世した代表者という扱いであった。
それが、近年なって研究が進み、実は素浪人でもなんでもなく、備前伊勢一族の一員で、将軍の身の回りにはべる申次衆であったらしい、ということがわかってきている。
しかし、それでもさらに謎が尽きないので、申次衆なら京にいたはず(当時の室町幕府は京都であるので)であり、なんで伊豆や相模に出張ることになったのだろう?ということになる。
資料によると、今川の家督相続にまつわる騒動を収めた、とあるので、それがきっかけではないか?という想像が働くわけだ。
本書は、今川の家督相続の調停について、若干21歳の伊勢盛時(のちの北条早雲)が駿河に父の名代として現れ、太田灌に良いようにやられてしまう場面から始まる。
伊勢盛時の年齢については諸説あるが、著者は綿密な研究から、このとき21歳説をとったことが、巻末のあとがきに書かれている。

閑話休題
この著者による「あとがき」というのは、なかなか面白いもので、よく「作品が良ければ良いので、あとがきなんぞは蛇足」だという主張があるのだが、私は同意しかねる。
本編からあふれたアレコレが書きつけられているあとがきというものは、本編を読んだあとで、さらに面白さを増してくれるものである。
私に言わせれば、わけのわからん解説なんぞよりも、著者本人によるあとがきのほうが数倍おもしろい。
できれば、出版社はすべての作家にあとがきを義務付けるべきではあるまいか(暴論)。

話をもとに戻す。
伊勢盛時は京で父のいいつけで大徳寺で禅の修業をすることになるのだが、ここで後の管領細川政元の兄弟子となる。
この人脈で、強力な後ろ盾を得た守時だが、将軍後継をめぐる一連の紛争に巻き込まれる。
ときの将軍、足利義尚が六角征伐の最中に突然、没してしまったのである。
次の将軍が畠山家の押す足利義材になると、立場をなくした伊勢盛時は申次衆を辞して、かつて家督相続の危機を救った甥の今川家に仕える。
ここで、今川が斯波と反目する間に、後顧の憂いをたたんとして、後背の相模・伊豆に手をのばす。
そこに、堀越公方古河公方の争いが絡んできて、、、といった具合である。


評価は☆☆。
かなり面白い。
応仁の乱は、よく知られているように敵味方入り乱れてのグダグダの戦いであるが、実は応仁の乱が終わったあとの日野富子による明応の変も、かなりグダグダである。
そのグダグダが、細川政元伊勢盛時を中心にスッキリと描かれている。
説得力は抜群だし、こんなふうに人生は偶然と人脈で動いていく、というあたりのリアリティがすごい。
著者の年齢は私よりもちょっと上なので、おそらく、自身の人生経験がこのような説得力を生んでいるような気がする。

若い頃は、真剣に「オレはなんのために生まれてきたんだろう」と考えていた。
ある日、気がついた。「そんなものはない。だから、オレは自由に生きて良いんだな」
そう思ったときの、ほっとした気分と寂しさ。
そんな気持ちを思い出した。