「反資本主義の亡霊」原田泰。
世の中に閉塞感が出てきたり、格差問題が浮上したりすると、必ず「資本主義がイケナイ」という人が出てくる。だいたい、インテリに多い。このような言説は、一定程度の支持を集めるようである。
本書は、その類の言説に「いや、それは嘘だろ」と叩きつけた快著である。まあ、左寄りな人にとっては怪著だろうけど。
著者は言う。
「そもそも、資本主義になってから、人類は貧困から脱出したのである。先進国の貧困層は、途上国の貧困層よりも必ず豊かではないか」
よく農業が人類を貧困から救った、というが、それは誤りであると著者は指摘する。マルサスの人口論に言うように、農地を増やすには人手が必要だし、人が増えれば一人あたりの富は減少してしまう。生産性の伸びが人口の伸びを上回ることがなければ、貧困から脱出できないのは道理であって、それは資本主義の出現を待たなければならなかった。
また、マルクス主義の失敗は歴史上明らかなのだが、その中で「格差が資本主義よりも大きかったこと」を指摘している。
資本主義の競争は、競争相手も多少の利益を得るわけだが(ライバルや2番手、3番手としてメシが食える程度には)マルクス主義の場合は、競争は「政治的」に行われる。政治的な競争の果ては「粛清」であって、2番手は文字通り生きていけない。
なにしろ、雇い主が一人しかいないんだから、雇い主から睨まれたら、どこにも生きていける余地がないのである。
これを見れば、まだカネのやりとりで済む資本主義のほうがマシではないか、というわけだ。共産主義は命をやりとりすることになる。
資本主義が戦争を起こす、というのも誤りであって、戦争が利益をもたらしたのは限定された場面に過ぎない。多くの場合、平和で自由な交易が行われてこそ、資本が利益を上げることが出来るのは言うまでもない。あまりに特殊なケースを一般化した誤りである、とする。
評価は☆☆。
我が国のインテリというものは、必ず左寄りであることが「お行儀」になっている。資本主義を堂々と擁護するのは、アタマのいかれた右翼のたわごと、というのが通り相場である。まじめに資本主義を擁護した書は、かなり珍しいと思う。
ついでに、その右翼(国家社会主義者、あるいは全体主義者)を木っ端微塵にしているのも面白い。
著者の立ち位置は、あえていえば市場原理主義に近いものであると思う。
そのシンプルさは、嫌いではない。
たいへんおもしろい指摘があった。
「では、なぜ、資本主義を嫌う人が出てくるのか」
自由な社会で資本主義を行った結果、貧乏であれば自分が無能ということになるからではないか、と著者は指摘する。
それが嫌なら、他人のせいにするしかないのだが、それではあまりにミエミエである。よって、目眩ましに「社会が悪い=資本主義が悪い」とするのではないか、と。
このくだりを読んで、私は腹を抱えて笑った。
だって、かつての自分が、まさにそうだったから。
こんなに、あからさまに書いちゃっていいんだろうかね(笑)
うん、やっぱり嫌いじゃない。