Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ときどき私は嘘をつく

「ときどき私は嘘をつく」アリス・フィーニー。

 

冒頭から、主人公のアンバーは事故にあって病院に収容されたようだ。
彼女は地元ラジオ局のアナウンサーをしていた。そして、ある日、事故にあった。
主人公に、事故のときの記憶はない。意識はあるのだが、手を動かすことも、目を開けることもできない。
もちろん、何もしゃべれない。ただ、人の話し声だけが聞こえる。
医者は「まだ目を覚まさないのか」と言っている。
つまり、目を覚ますことは時間の問題だと思っているようだ。
夫のポール、妹のクレアも来る。夫と妹のやりとりに、何かを思い出しそうになる。
ポールは手に負傷しているようだ。
そして、警察の話では、事故当時にアンバー自身は運転していないことは確実だという。
ポールはアリバイがなく、疑われて、いったん逮捕されるが、保釈されて戻ってくる。
病院のネッドで寝たきりのアンバーは、事故の前を少しづつ思い出していく。

そして、いきなり過去の「日記」が蘇る。
11歳の彼女は、両親とうまくいっていない。彼女は11歳にしては成熟していない精神状態のようで、自分の都合しか考えられない。
他人の気持ちを察することができないのだ。
そんな彼女だが、学校でいじめられているテイラーという友人とは「同じ莢の豆」のように仲が良い。
テイラーの家は恵まれているが、彼女の家は貧しく、両親は喧嘩が絶えない。
母親はやがてアル中から鬱病を患うようになり、昼間からパジャマを着て寝てばかりになる。
父親はギャンブル狂で、どこの仕事も長続きしない。
彼女はテイラーの家に遊びに行き、そこに理想の母親を見つける。
やがて、彼女は引っ越しをしなければいけないことになり(自宅の売却が決まったため)その夜、テイラーが泊まりにくる。
そして、彼女は「ずっとテイラーを守るため」に、とんでもないことを起こす。。。


読めば読むほどコワイ小説。
タイトルは秀逸で「ときどき私は嘘をつく」そのとおりである。
少女の日記が実はアンバーの日記ではなかった、というのが重大なネタバレになるのだが、それ以外にも、実は1人称で語っているアンバーの話にも嘘が紛れ込んでいるのだ。
読むとそれがわかるようになっている。
アンバーがラジオアナウンサーだというのも、実は嘘なのだから。
この小説は、そういう自分で自分を偽る同じタイプの人間、アンバーとクレアの悲劇的な破滅に至る友情を描いている。
これは友情なのか?と普通の人間は思うだろうが、それでも友情なのではないか。
サイコパス同士の友情という、およそ想像のつかない関係。
そして、アンバーにストーカーするエドワードも含めて、登場人物が多かれ少なかれ、皆サイコパスという(苦笑)とんでもない作品なのだ。
夏の夜にぴったりの「ぞっ」とする作品である。
評価は☆。

 

ふと思ったのだが、子供の頃は、みな、ある程度サイコパスの素質があるのではないかと思う。
小さいコドモは、自分の欲望しかアタマにない。
私の子供の頃を考えても、ずいぶん幼いころから嘘をつくことを覚えていた。
それは、そうすれば何かの得があったり、隠し事をするためである。
そういう嘘つきは、大人になるにつれて「いけないこと」だったり「どうせすぐバレる」とわかったりするので、やらなくなるのであるが、サイコパスという人たちはずっとそれをやるのである。
自分の欲望を満たすために、邪魔なものは排除すれば良いという考えが心底まで貫かれているので、変な意味で邪念がないのだ。
小さい子供と同じであるが、オトナのサイコパスは子供よりも賢いので、嘘はより巧妙になる。

そういう人は、実は、周囲にもいるはずである。
実は、経営者にも多いそうだ。
目標達成のために邪念を持たず、純粋に効率を求める思考法は、しばしば他人への共感を欠くし、長期的な展望よりも目先の利益を優先する。
そのために、以前とまったく矛盾する主張を平気でするのが特徴である。
サイコパスは、いい言葉でいえば目標達成、わかりやすく言えば欲望に忠実なのである。
私が知っている優秀な経営者という人種は、ほぼほぼサイコパスである。
どんな属性も、つまりは活かし方という話になるのだろうか。
なんだか、この世の中ってやっぱり「すさまじきもの」だと思うんだよねえ。