Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

指し手の顔

「指し手の顔」首藤瓜於。副題は「脳男Ⅱ」

元力士で精神科に入院歴のある男が、どういうわけか症状が突然悪化して暴れだし、殺人を犯す。
さらに、逮捕しようとする警察相手に暴れまわり、さらに死傷者を出し、最後に射殺される。
この事件の舞台の愛宕市では、似たような精神科に入院歴のある者による事件が続発。
議員秘書まで殺され、その現場に残された血液は、かつて事件の被疑者として精神鑑定を受けた鈴木一郎なる人物のものであった。
マスコミでは「危険な人間を野放しにするな」というキャンペーンが張られる事態になる。
地元の病院で勤務する精神科医の鷲谷真梨子は、鈴木一郎の精神鑑定を行ったことがあり、キャンペーンの標的にされる。
しかし、彼女は一方で、症状も安定して日常生活が送れるまで回復した患者が次々と事件を起こすのはおかしいと考え始める。
事件を起こした元患者の診察を通じて、どうやら元患者たちは何者かに拉致され、わざと症状を悪化させる措置を受けていたらしいことを聞き取る。
一方、警察の茶谷警部はかつて鈴木一郎の事件を担当したことがあり、この事件でも独自の捜査を行う。
茶谷は、一連の事件は鈴木の起こしたものではないと考えている。
そこで医師の鷲谷と会い、鷲屋のききとった元患者の情報から、ある小屋が拉致事件の現場ではないかと考え、その小屋を部下の監視下におく。
誰が小屋に出入りしているのか、確認しようとしたのである。
ところが、その監視中の部下2名が、何者かに殺害されてしまう。
独自捜査で監視を命じた茶谷は責任を痛感するが、鑑識がひそかに仕掛けていたカメラに殺害犯が写っていることが判明。
なんと、犯人は若く美しい女であった。
女を追って、茶谷は自分の地下人脈を駆使した探索を行う。
その甲斐あって、女の居場所が判明するが、なんとそこは鷲谷医師の病院に多額の寄付を行っている大金持ちの娘の邸宅だった。
邸宅に突入した警察と、美しく若い女殺人鬼の死闘が始まる。
そして、一連の事件の犯人の正体がついに明かされる。。。


本書の副題は「脳男Ⅱ」であるが、この著者のデビュー作品が「脳男」である。
抜群に面白かった。しかし、なかなか続編が出なかったものである。
当時の私は赤羽に住んでおり、毎週の休日ごとに駅前のブックス談でミステリの新書を買うのが楽しみだった。
ちょうどミレニアムの時期である。
そんな時期に読んだ一冊で、まさか7年後に続刊が出ていたことを知らなかった。
本書を読みながら、昔読んだ「脳男」を思い出し、懐かしい気分になった。

相変わらずのストーリーテリングの面白さで、上下2冊を飽きずに読んでしまう。
評価は☆☆。
「脳男」を読んでいないと、今ひとつ分かりづらいところがあるのだけが減点であるが、読んでいれば文句なく面白い。

本書で取り上げられている精神障害者の犯罪に対する問題点はそのとおりで「治療を受けなければいけない人が刑務所で適切な対応を受けないまま過ごす」一方で「犯罪者が精神化に入院し、しばらくすると退院しては同じ犯罪を繰り返す」。
裁判所も問題だが、精神科医も同様の問題がある。
思うに、犯罪者はそもそもどこかマトモではないので、精神に異常があるといえば、皆当てはまらないことはないのであろう。
しかし、だからといって、自分が何をしているのか理解もできない、正常な判断もできないものを刑務所に入れて何が社会的に利益になるかといえば、これは良くないはずである。
私は自分にパニック障害の経験があっていうが、病気は病気なので、「気分」の問題ではない。
やたら悲観的になったり死にたくなったり、狭いところが駄目だったり、寝る前に恐怖であたまがじんじんと(おそろしい経験である)したりするのは「気分」ではないのだ。
やはり適切な治療が必要なのである。
このあたりの見極めの困難さが、これらの問題を引き起こしている原因ではあろうが、精神の異常に対する司法や警察の無理解もあると思う。
まことに難しい問題である。
ちなみに、いわゆる詐病(精神異常のふり)は、かんたんに医師によって見抜かれる。簡単だろうと考えるのは素人です、念のため。

精神異常の場合は無罪になる、いわゆる刑法39条の問題はよく話題になるが、法学部出身の人で、39条がおかしいと思う人はあまりいないように思う。
簡単に言えば、刑法というのは原告は「国」なのであって、被害者ではないのである。ここが、この問題の根本なのである。
税金を払っているのだからオレの仇をとってくれ、というのは素朴な市民感情ではあろうが、はっきり言えば「国にそんな義理はない」。
だから39条は問題なく成立するのだが、、、あまりはっきり言う人はいないようだ。
やっぱり、言いにくい話なんだろうなあと思いますね。