Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

半島を出よ

「半島を出よ」村上龍

今、この時期なので、というわけでもないが、偶然に書店で見つけて購入。文庫なので手が出るわけで。
これは評価が高かったことがわかる作品である。
村上龍という書き手は凄いな、と思う。

北朝鮮の特殊部隊が、日本の福岡を侵略、占領する。
彼らの狙いは、この事件をきっかけにしての国際社会復帰、ゆるやかな開国と体制変更である。
特殊部隊は、福岡ドームを占領する。
彼らの司令官は言う。
「政治の本質は、小の虫を殺して大の虫を生かすことだ。しかし、日本の政府は犠牲を出すことに耐えられない。」
「もっとも良いのは、福岡ドームを占領した時点で、観衆の被害を覚悟してでも侵略部隊を殲滅することである。しかし、今の日本政府には、それはできない」
侵略部隊について、日本政府は北朝鮮政府に抗議を行う。すると、北朝鮮政府はかねての予定通り「彼らは国内の不満分子であり、反逆者である。もしも日本政府が望むなら、討伐部隊をさしむけてもよい」と回答する。
自国が侵略されて、その母国の軍隊に討伐を頼む馬鹿はいないので、当然この申し出は断るのだが、しかし、一般市民に被害がでることを恐れた日本政府は自衛隊に防衛出動を命じることはできない。
これに乗るのが日本のサヨクな評論家さんやマスメディアで「北朝鮮政府がそう言う以上、相手は軍隊ではないので、自衛隊は出すな」と言う。ありそうな話であるなあ(苦笑)
で、仕方がないから、ただの犯罪ということで、警察の特殊部隊が派遣されるのだが、ホンモノの軍隊に対して警察が対抗できるわけもない。あっさり全滅の憂き目にあってしまう。
米軍は、何もしない。それはそうで、日本自身が自衛隊出動させていない状態で、日米安保が機能するわけがない。日本人自身が守ろうとしないものを、米兵の命をかけるわけがないのである。
それどころか、福岡占拠が長引き、占領軍が各国に対して貿易を呼びかけると、これに呼応しようとする。
経済的には、そのほうが利益があるのは当然である。

占領された福岡市役所や商人は、占領軍に協力的になる。当初は暴力で脅されているわけだが、彼らと付き合えば利益をなると理解すると、それならそれでいいではないか、となるのだ。

結局、福岡占領軍は、アウトサイダー達の手製爆弾によって全滅して物語は終わる。

評価は☆☆☆。
たいへんスリリングなストーリーであり、北朝鮮兵士と日本側の人物のそれぞれの思考様式の絶望的な差が、生き生きと描かれる。
アウトサイダーのイシハラ(この名前は象徴的だ)は宣言する。「みろ、奴らは敵だ」
しかし、その他の日本人には、彼らが敵だということがわからない。
目の前で銃を持ち、それで脅かし、あるいは死者がでても、それがわからない。
権力の基盤にあるものの根底が暴力であるということが理解できないからである。

アフガンあるいはイラク派遣で、相手がテロリストであって敵国ではないのだから、自衛隊を送るべきでないという議論があった。
それはただの内政問題であり、犯罪である。あるいは復興という問題であれば、それはNPOが行くべきである、という議論である。
あるいは、そもそもそのような内戦状態に陥ったのはアメリカのせいであるから、日本は巻き込まれるなという。
以上の議論に欠けているものは3点で
1,そこに武装した戦力がいて、支配の意思を持つということ自体が、すでに戦争である。相手が国家であれ、テロリストであれ。あるいは、カルト宗教であれ。
2,戦争になったら、役に立つのは警察ではなくて、軍隊だけである。
3,武装集団の内乱が成功すれば、それは政府である(内乱罪は未遂しか成立しない)ので、それは法律の地平の問題となる。つまり、法律ではなくて、権力が(あるいは国家が、民主主義であれば国民とその選良が)守るべき価値をもって決めるべき問題
という点である。

3については、オウム真理教事件のときに、明らかになった。
殺された坂本弁護士の事件に際して、彼と仲間だった人権派弁護士達は、こぞって「警察はもっと早く動くべきだた」と、治安維持法まがいの対策すら主張したのである。
警察が早く動けなかったのは、宗教団体に対しては、信教の自由が認められている以上、よほどの確たる証拠がなければ、それこそ「人権蹂躙」になってしまうからだ。
しかし、人権派弁護士も、また左寄りの評論家の誰も、「人権を警察が優先したので、それは良かった」とは言わなかった。
私は、戦後の思想史において、あれほどの大事件はあるまい、と思う。
戦後思想の虚偽ががらがらと崩れた瞬間で、しかも、誰もその責を負うことをしなかった。
オウムの支持ともとれる発言をして批判された吉本明は、有る意味ではもっとも誠意のある知識人ではなかったか。

おりしも、未曾有の大震災で、政府に対する批判は厳しい。
しかし、私は、むしろこれから問題は大きくなるものと考える。そもそも、私たちが「守るべきもの」とは何なのか、それが問われてくる事態になるだろうと思うのだ。
今の世で人は、それぞれの立場で、判断するより他になくなるような気がしているのだ。