西村賢太氏の訃報が本日、発表された。享年54歳の死は、昨今では早すぎる。夭折に近いと思う。
「苦役列車」は読んだ。あまりにも直截的な文章に唖然とし、賢多の露悪趣味ともいえる自己中心的な述懐に苦笑した。
だけど、なるほど、これは私小説である、自分を見つめる視線は鋭いと思った。
と同時に感じたのは、この小説は「誰かに書かれねばならぬ」ものだということだった。失われた20年だの30年だのというが、一言でいえば日本は貧しくなった。
貧しいとはどういうことか?
数字ではなく、リアルに誰かが書かねばならなかったと思う。
それを西村氏が書いた。
後年明らかになったように、西村氏は中卒の学歴でありながら、芥川賞受賞前にすでに年収480万円を得ている。肉体労働者として働いてはいたが、すでに文学では自歩を築いて、執筆収入もあったから。
肉体労働者が休日に古本屋へ行き、わざわざ大正時代の無頼派作家の全集を買って読むと思えば、彼の非凡さがわかる。
時折、テレビでコメンテーターなどもやっていたが、まさに欲望に忠実なコメントを連発して、おおいに笑わせてもらった。昨今のテレビ界ではさぞ使いにくい人だったであろうなあ。
もっと長生きすべき作家だった。
彼の文学が、年月を経てどのように熟成されていくかを見たかったが、その機会は永遠に失われてしまった。
本人は、死期の近いことを察していたようだ。この数年、遊びも控えて仕事に没頭していたという。
その西村氏の仕事を、これから読んでみようと思っている。