あいにくの天気ながら、近隣の桜は満開である。空模様を心配しながら、しかし桜の道を走ると、なんとなく心が浮き立つ。
例年なら、その桜と歩調を合わせて、拙宅の玄関先の花桃が咲く。しかし、今年はただ枯れた風景があるだけである。
昨年の夏を過ぎたころ、突然、すべての葉がまっ黄色になって、すべて落葉してしまった。ふだんの年は、当たり前だけど、秋の深まりとともにだんだんに葉が色づいてきて、一枚、また一枚と落ちていく。しかし、去年はあっという間に、すべての葉が一斉に散ったのだった。しかもまだ残暑の厳しいときだった。
いつもは、冬の間に新芽を出すのだが、まったく気配がなく。ためしに、細い枝を一本折ってみたら、ぽきんと音がして折れた。つまり、まったく水分がなく、乾いていたのである。
一縷の望みをもって、この春を見ていたのだが。
花桃の寿命は一般的に20年ほど。しかし、我が家の花桃は「照手水密」という品種で、花桃と普通の桃を掛け合わせた品種だった。花が美しく、しかも、実が普通の桃のように甘いのである。ただし、実の大きさは普通の花桃のように小さい。
良いことばかりのように思えるが、実は欠点もあって、それが寿命の短さなのだ。私が調べたところでは「短いもので10年すこし」という記述であった。
我が家の照手水密は、15年だったことになる。まあ、この品種としては普通ということになるのだろうか。
それにしても。
毎年、我が家の玄関先を彩ってくれたシンボルツリーがなくなると、ずいぶん寂しく感じるものである。今年は、正月明けに猫のアンくんも亡くしているし、なんだか次々と先立たれるように感じてしまう。わが愛猫が元気でいてくれるのが、救いである。
さて、寂しくなった玄関先をどうしよう。
枯れた花桃は片づけるとして、そのあと、どうしようか。今、思案しているところである。