Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

核武装の是非について

この問題は、なかなかに難しいのだが、私自身はいまだ「日本は核武装しないほうが良い」という考え方をもっている。では、安全保障はどうするのか?当然、アメリカ様に土下座して助けてもらうのである(笑)

以下に理由を述べる。
この問題は、軍事の問題であるから、軍事上の常識をもって判断すべきと思う。
軍事的にいえば、日本にとって、ここ数年でもっとも大きな変化は近隣諸国、とりわけ北朝鮮のミサイル「テポドン」の配備と核武装化である。

数年前に、北朝鮮のミサイルが日本を飛び越えて太平洋に落下した。北朝鮮は「人工衛星の打ち上げ失敗」と報道したが、これはノドンであった。テポドンは、更に改良されて飛距離が延伸している。
そこに、このたびの核配備である。

ここで、米国と日本の安全保障には、大きな亀裂が生じたことになる。
今までは、もし近隣核武装国が日本に核攻撃したらなら、米国の報復攻撃を覚悟しなければならなかった。いわゆる、核の傘である。ソビエト、中国、米国がその主役であった。これらの国は、通常戦力も豊富であって、正面戦争することなく、通常戦力による代理戦争によってパワーゲームを行っていた。
戦後60年、日本は戦争を行っていないが、世界の中でこのような国は極めて少数派である。
一方で、ベトナムをはじめする「代理戦争」もしくは「米国の戦争」の協力者であったことも確かであり、それ故に「平和」だったとも言えるのである。

ところで、北朝鮮テポドンは、おそらく米国本土の東海岸に届く。
もしも、北朝鮮が日本に核攻撃をしたらどうなるか?
米国は、報復攻撃を考えるが、今までと違って「米国本土への報復」を覚悟しなければならぬ。米国市民が「日本の敵討ちをすることにより、我々が核攻撃を受けなければならないのでは拒否する」ということは充分にあり得る。平和主義者は、自国に核が落ちるくらいならば、日本を見殺しにすることの方を喜んで選ぶであろう。平和主義者が行うことは、そのあと自国政府を非難したり被爆者のために祈ることであって、自国の損害を覚悟しても報復することではないのである。

そうすると「これはいけない。米国は頼りにならぬ、日本も自力で核武装すべし」という議論が出てくるわけである。

しかしながら、仮に日本が核武装したとしても、報復攻撃を行うためには、相当数の配備をしなければならない。日本が先制核攻撃を行うことは、まずあり得ない。すると、実は近隣から飛んでくるミサイルへの防御手段は絶望的であって、まず第一撃は食らうことになる。米国ぐらい離れていれば、ミサイルの発射から着弾まで23分間あるから、この間にミサイル防衛網が成功するかもしれないが、日本では難しい。確実に報復するためには、あちこちにサイロを分散して、相当数の配備が必要だ。

もし米国のミサイル防衛網に信頼がおければ、仮に日本がやられても、米国は自国の被爆を恐れることなく反撃できる。実は、ミサイル防衛構想は、日本ではなく米国の核の傘を、ふたたび強固なものにするために行われるとみるべきだ。

そして、米国内の平和主義者に対して、もっとも強烈なのは
「かつて米国は日本に原爆を落とし、それゆえ核装備しない日本を見殺しにするのか?」
という議論なのである。

戦略論からみた日本防衛に関しては、改めて述べることとしたいが、日本の防衛に関して言えば、現実問題として日米同盟がなくては機能しないだろう。
その場合、もっとも憂慮せねばならぬのは、実は米国内の平和勢力なのである。
彼らは、かつて中国と手を結んで、日本を破滅の淵に追いやったのである。
戦略的にいえば、同じ間違いを繰り返してはならない。

よく歴史に学べ、という。
歴史を学ぶならば、このような回答はあり得るはずだ。
「今度は、米国を中国に渡してはならぬ」と。

もし私が外国の将軍で、日本侵略を考えてみた場合、もっとも邪魔なのは日米同盟である。これを離間させることを第一の目標におくであろう。

日本の核武装となれば、手を打って喜ぶにちがいないと思うのだ。その後は、日本国内の平和勢力を使操して、その核を事実上の未稼働に追い込めばよい。裸の日本が残るだろう。
そうならぬと言えないのが現状である以上、まだ核武装すべきでないと考える。


なお、さらに戦略論からみた場合の日本防衛については、また改めて考えてみようと思う。