Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

戦争の日本近現代史

「戦争の日本近現代史加藤陽子

副題が「東大式レッスン!」となっている。これは、日本の最高学府が、明治以降の戦争についてどのように講義しているかという興味をかき立てるじゃないか。

本書の眼目は、「ほとんど10年おきに戦争をしていた」明治以降の日本において、一般国民がどのような論理でもって戦争を受容していったか?という検証である。

特に興味深かったのは、民本主義者として有名な吉野作造が、日露をはじめとする戦争に「民主主義的な立場から」賛意を表明することだ。
別に、意外でもなんでもなく、そもそも民主主義と平和主義は別にセットではない。これがセットだというのは、護憲論者の作り上げたフィクションだからである。

ただ、それでも、特に後半の第一次大戦後あたりから、本書の趣旨はよくわからなくなっていくのだ。
つまり。
国民というものが、一部の軍人や政治家が会議で発表したり書簡に書いたりしたことのとおりに沿って、ものを考え始めるわけがないと思うからである。
明治維新による「徴兵制」の実施まではいいけど、大正デモクラシーの結果の「普通選挙」の実施と戦争の関連についても論じるべきじゃないかと思う。

本書も、歴史に対する「後付の解釈」という批判を免れないと考える。すなわち、過ぎたことは結果を知っているわけだから、どーとでも言いたい放題ということである。

簡単に事実を述べれば。
徳川300年間、日本は外国を侵略したことはない。それどころか、幕府がある間はすべてそうである。
明治の徴兵制が布かれるまで、たとえ官軍といえども、一般兵士を祀った神社はない。靖国が最初である。
大正デモクラシー後、普通選挙の実施から、日本は大陸へ侵攻開始。
以上の点から素直に。
平和の実現のためには「身分制度の復活」「憲法の停止=選挙制度の廃止」「将軍家創設=幕府復活」となるのが論理というものであるはずだろう。
もちろん、無茶苦茶だが(笑)
しかし、これはこれで、ロジカルな主張であるように思われる。

つまり、私は、歴史に学ぶという行為自体を嘲笑しているのである。自己の主張に都合の良い史実は、いくらでも見つかるであろう、と。

評価は☆だ。考えるきっかけにはなると思う。だけど、そもそも何の意味があるのかわからない。
ま、学問なんて、そんなもんなんだろうけどねぇ。