Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

大江戸とんでも法律集

「大江戸とんでも法律集」笛吹明生。

戦後しばらくは、江戸時代は封建主義の暗黒時代という話になっていた。十両盗めば獄門、そもそも死刑廃止の風潮にある人権の時代だというのに、たかが窃盗、十両ごときで死罪とは許し難い野蛮な世である、ということである。
町人は切り捨て御免、親に孝、君に忠では息が詰まる。とんでもない暗黒時代、これこそ日本を誤らせた元凶たる非民主主義的伝統が胚胎した時代なのであった。
そのうちに、今度は風向きが変わった。
日本国憲法が米国製品だということはどうしても否定できないので、なんで日本人が米国製をあがめ奉らねばならないのか?という疑問について、新たな回答を用意する必要が出てきたからである。
そのためには大日本帝国は間違いで、それ以前の歴史は良い、というか「それなりに、歴史の発展過程にあった」のであって、野蛮なブルジョア革命(明治維新)がなければ日本国憲法が日本人の「正常進化型」だから、憲法が米国製であっても米国製ではない、という奇妙奇天烈なロジックが出現した。
その結果、今度は知識人による「江戸時代のいいとこ探し」が始まるのである。
歴史とは、過去の事実ではなくて、現在の解釈(思想)である、という良い見本ですなあ。

とはいえ、左派の事情はともかく、右派だって「日本は米国に無理矢理開国させられるまでは、平和で良い国だった」という主張は悪くない。それどころか、大いに魅力的であろう。こと江戸時代をめぐっては、左右両派に後ろ暗い妥協が成立するゆえんである。
渡辺京二網野善彦は、よって左右を問わずに評判が非常によろしい。

などと好き勝手に書いてしまったが(苦笑)渡辺京二網野善彦も、すこぶる偉大な仕事をしたことに間違いはないのだから、まあ結果的には良いのかもしれない。
本当に偉大な仕事は、イデオロギーを乗り越えて輝くという好例でしょうかなあ。うん。

で、本書であるが。
まず著者は、前書きにおいて、かかる「お江戸礼賛」の風潮について「そんなわけないでしょ」と冷静に異義を唱える。今から考えれば、とんでもない法律だってあまたあったので、それを紹介するということである。
しかし、その判断においては、そもそも人権というような考えが当時まだ弱いわけで、当然なのだが時代の評価に時代性を考慮しないで、今の基準でうんぬんすること自体を慎むべきだと言う。
ごく穏当な考え方というべきだろうねえ。

江戸時代のとんでも法律というと「生類憐れみの令」が高名だが、そのほかにも
・主人の妻と密通したら死刑。だけど、使用人の妻と密通したときは、罪は軽い。
十両盗めば獄門だが、なんと、その法律自体は公布されていなかった
などということが出てくる。とんでもない話だ。

けれども、なかにはほっとするような法律だってある。

江戸時代の吉原は、幕府公認の赤線地帯なワケであるが、これは逆にいえば、その他の場所では売春禁止であったということである。
それで、幕府は、なんとかそういう「岡場所」の廃絶を目指す。けれども、勝手にそこらで商売をする連中を取り締まるのは、幕府といえども難事であった。
そこで、こんなお触れがでてくる。
「吉原以外の場所で、働かせていた女と駆け落ちした男は、男女ともにどこへ行こうと自由」
これ、なんとも粋な計らいではないだろうかと思うのである。

評価は☆。なかなか、おもしろい本であった。

どうやら、私も「江戸礼賛派」の一人らしい。
こんな本を読みながら、ついつい「良い話」を探してしまうわけだ。
幕府の役人もまんざら頭の固い連中ばかりではなかったようだ、などと思うと、妙に楽しくなってくるのである。

ついでに言えば、江戸時代における人々の苦難は、最大がエネルギー不足であり、飢饉である。
この解決は、開国を待たねばならなかった。
開国したら、こんどは世界経済における競争によって、また苦しむことになる。それは、列強による帝国主義の時代だろうと、あるいは現代だろうと、大きく変わりはない。
世界経済の競争を拒否すれば、またエネルギー不足に苦しむことになるだろう。
それが日本の運命だと思う。

いたずらに、嘆いても仕方がない。その時代において、それぞれの運命を背負って生きるしかないわけなのだから。