Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

それでも子どもは減っていく

「それでも子どもは減っていく」本田和子

少子化は我が国の社会保障内需の縮小に大きな影響を及ぼしている。
これから、さらに「超高齢化社会」になるから、そりゃもう確定的である。
経済的にいえば、日本は内需の国なので、少子化は必然的に内需縮小に結びつく。
需要縮小=供給過多=デフレというわけで、デフレ退治に日本政府が手を焼いたのも当然である。
アベノミクスの3本の矢のうち、需要創造が公共投資というわけで、それ自体は正しいのだが、持続性があるかどうかは別である。

そんなわけで、政府は少子化対策に躍起になっている。横浜市の待機児童ゼロが話題になったりする。
しかしながら、本書で指摘されるのは、まさに書名通り「それでも子どもは減っていく」ということなのである。

本書では、まず人口調節の歴史を俯瞰する。
諺に「7歳までは神のうち」というのがある。
実は、これは「7歳までの子供がよく死んだ(多産多死)」ということのほかに「間引き」に抵抗がなかった、という事実を著者は指摘する。
とりあげ婆(産婆)が、生まれた子供を処分するのは、そんなに珍しいことではなかった。
明治になって、政府はこの「間引き」をやめさせようと禁令を繰り返す。
当時の帝国主義に目覚めた日本政府であるが、日本にはまったく資源がない。
よって、日本が帝国主義的な発展をするためには、人口増以外に物理的な手段をもたなかった。
産めよ増やせよ」は、こうして国策となっていく。

大正時代に入り、デモクラシーの時代が到来する。婦人公民権運動もさかんになる。
すると、産児制限に関する議論がもりあがる。
平塚らいてう与謝野晶子が論争している。
しかし、これら産児制限にかかる論争は、時の政策に沿わないものとして弾圧されてしまうのである。

戦後、抗生物質や衛生環境の向上によって、子どもが亡くなるケースは激減した。
あわせて、子どもにかかる教育費は高騰。
母親たちがここに至って「多く産む」よりも「少なく産んで、手間をかけて育てる」方向にかわったのは必然である、と著者は指摘する。
さらにもう一つ。
戦前と異なり、今は子どもを労働力にできず、老後の面倒をみさせる家族保障の意味もない。
そうすると、経済的にみれば、子どもは単に「情緒的満足」のためだけの存在である。
経済的にみれば、プラスはなくて、マイナスしかないのだから「もっとも贅沢品」となった。
経済的な価値が第一となった現在の世相において、子どもが減るのは必然だ。
子どもを、単に時代の社会保障の担い手(早い話が金づるである)としてしか見ない今の議論ではなく、子ども自体の価値を再発見しようと呼びかける。

評価は☆☆。
丁寧で、分かりやすい議論である。
ただし、処方箋はない。

本書の指摘した事項に、おおむね私は賛成である。
というか、反論が思い当らないのである。

かつて、女性を「産む機械」扱いしたというので、辞職した大臣がいた。
「産まない」を前提にするならば、それはセックスと生殖の分離である。
そうすると、男女間にも、生殖目的の関係性とセックス目的の関係性が現れるであろう。
現在では、生殖の場合は婚姻であり、セックスの場合は愛人である。
昔は、愛人と婚姻の関係が曖昧であったので、お妾さんに子供を産ませた話などが珍しくなかった。
今は、それが峻別されているように思う。これは、必然的な進歩ということになるだろうか。

そのセックス目的の関係性に、金銭が関わると売春となる。
売春という行為は、生殖目的とは大いに違う地平にあることは、誰にでもわかる。
すると、女性が自由に売春できるようになるのも、歴史の必然ということになるではないか。
しかしながら、現在の橋下発言騒動に見られるように、そこまで世間の認識は透徹していないようである。
売春だと「強制された」と思わないと困るのであろう。
女性が自由に売春できる、これぞ女権の勝利だ、素晴らしいという議論になかなかならない。
どうしてだろうか?

たぶん「7歳までは神のうち」と同じである。
これらの産児抑制策において、著者は入念に「人権」関連の考察を避けている。
人権問題に踏み込めば、女性の人権と、子どもの人権の矛盾につきあたる。
セックスと生殖の分離の問題もそうであるが、人権も含めて、本当の問題は信仰や宗教にある。
それを、著者は最後のあとがきにおいて吐露している。

何を語ったかではなく、何を語らなかったか?を考えると、本書はさらに楽しく読めるのである。
読者の方法論としては邪道、でありますがねえ。