Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

宇宙の戦士

「宇宙の戦士」ロバート・A・ハインライン

ヒューゴー賞受賞という以前に、まずその後のSFに大きな影響を与えた名作である。
なにをかくそう「パワードスーツ」というものを最初に考え出したのが本書なのだから。
このアイディアは、その後、幾多のSF作品、アニメ作品に多用されることになった。
世の中でなにがすごいといって、新しいもの(概念)を提唱するのが一番すごいのである。
ゆえに、本書が名作であることに、異論を挟む余地がない、、、はずなのだ。
しかし、この本には、発表当時から批判がつきまとい、物議を醸している。問題作なのである。
私が読んだのは旧版なのだが、その巻末解説でも、石川喬が「ファシズムの書」だという批判を掲げている。
民主主義的な戦争反対の平和主義とは、およそ相容れない内容なのである。

物語のストーリーは比較的単純である。
遠い未来の世界、宇宙進出した人類は、謎の宇宙生物と戦争状態に陥る。相手は巨大な蜘蛛のような生物で、地球の蜂やシロアリのような社会を構成している。
そこには一部の頭脳蜘蛛(これは支配階級らしい)、軍隊蜘蛛、多数の労働蜘蛛がいて、多数の労働蜘蛛は単に頭脳蜘蛛の命令に基づいて労働するだけの存在である。
しかし、軍隊蜘蛛は異様に強い。頭脳蜘蛛は、地下深くに潜んでおり、一度も囚われたことはない。
人類には、なぜ蜘蛛どもが襲ってくるのか、理由はわからない。コミュニケーションをとるすべがないからである。
もちろん、それは研究中で、人類としては戦争で勝ち、相手に圧迫を与えることで相手が降伏するか、適当な条件で和睦することを望んでいる。
しかし、地球にさえうっかりすると責められる状況で、戦況は一進一退のようだ。
主人公のジョニーは、裕福な実業家の家庭に生まれたが、18歳になったとき、軍に志願する。ちなみに徴兵はなく、軍はすべて志願兵による。
志願した理由は、仲の良い友人が志願すること、そして女の子の前で少しカッコを付けたかったからだった。
こうして新兵として軍に入ったジョニーは、機動歩兵に配属されることになり、凄まじい新兵教育を受けることになる。
やがて、どうにか新兵訓練を終了したジョニーは、実戦経験を積んだ。
さらにジョニーは、周囲の勧めに従い、士官を目指すことになり、今度は士官教育を受ける。。。


この小説は、実は遠い昔、学生時代に読んだ。
当時の率直な感想は「とんでもねえマッチョ小説」だというものだった。あほらしくなり、後半はほぼ飛ばし読みした。
今回、改めてじっくりと読み直す。
で、一言。「素晴らしいじゃないか」評価は☆☆。
やっぱり名作なのである。

この年令にして気がついたこと。
この本を読んで、著者ハインラインの思想がどうこういうこと自体、ヤボである。
例えて言えば、音楽に思想を持ち込んでいた時代、日本でいえば反戦フォークソングの時代である。
戦争反対、自衛隊反対を叫ばない音楽は音楽じゃないと言っていた。
そのような音楽が、今でも聞かれていますか?誰も口ずさむ者はいない。その時代の男と女を歌った歌謡曲は、今でも生き延びてそこらのスナックで歌われているのに。
つまり、なんでもかんでも「思想」で、それしかないように思って批判すること自体、洒落がわかっていないのである。
本書を指して「別にSFである必然性はなく、二等兵物語に宇宙服を着せただけ」という批判が存在する。
まあ、半分くらい当たっているわな(笑)
それでも、史上初のパワードスーツをただの宇宙服扱いした時点で、この批判も今となってはかなり寒いシロモノだとわかる。
その上でいえば、面白い二等兵物語を紡ぐにあたって、それなりの兵隊の哲学が必要だったのである。
それ以上でも、それ以下でもないと思う。
ただ、愉しめば良いので、本書が登場して何十年が経過して、本書の子孫のような小説やアニメやラノベ(笑)がたくさん登場して、今だから言えること。
それは読んで「ああ、面白かった!」で終わった人の正しさだ。
私は間違っていたよ。

我々が小説を読むのはなぜか?
それは、つまるところ、面白いオハナシを聞きたいからだ。
子供が「ねえねえ、オハナシして」とせがむのと、代わりはない。人類はオハナシが、そんな小さい頃から好きだ。
そして、それこそ、人間でないとできないことなのだ。
思想は、思想家同士で、どっかでやっておくれ。
私は小説が面白ければそれでいい。
すぐれた小説家は思想家でなくても、すぐれた職人であればいい。

これからも、面白いオハナシを求めて本を読むだろうと思う。それでいいのだと思うようになったのである。