Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

帰ってきたもてない男

帰ってきたもてない男小谷野敦

もてない男」という思想上の大問題(!?)を提起し、その後あろうことか結婚(!!)し、その後大方の予想通り離婚(。。。)した著者の「待望の続編」。

前作よりも、さらにストレートな物言いになっており、論旨はいよいよ明快になっている。前作が「教科書」だとすれば、こちらが「あんちょこ」だ。前作を読んで「なんだ、もてない男って、よくわからん」と思われた方も、本作を読めば疑問は雲散霧消するであろう。

特に笑ったのは「負け犬」本の酒井順子に対して「恋愛はしたけれど、結婚できなかった女が『負け犬』というのなら、恋愛すらできなかったもてない男はどうなるのだ。それじゃ犬の腐乱死体ではないか。吠えることさえできない」と断じたあたりである。まさにそうだろう。

また、今回は独身男のセックスの問題をかなり取り上げているのが印象的である。結婚できない、恋愛もできない男にとってセックスは深刻だという。
実は、私は40過ぎてから、正直「あまり深刻でない。」これは個人差の問題だと思うなあ。

著者は、「それでも恋愛(つまり片思い)し、振られつづけるのが『もののあわれ』を知る男である」という。やはり文学の人なんだな。

女性に対する深いルサンチマンという意味では、本田透の「電波男」のほうが上だ。彼は、もてなかったあげくに、「もう頼まんわい」とぶち切れたのである。しょせん女性とは縁なき衆生であると悟り、彼岸の彼方へ行ったのである。
「もてない」という思想の透明度においては、本田透のほうがまさっている。
それは、本田透のほうが不幸だということである。
まだ「振られ続ける」情熱をもてる小谷野敦は幸せなのだ。

なんでそんなことを言えるかというと、実は、あることで、小谷野敦が結構もてることを知っているからである。

評価であるが、☆☆とする。
なんで三つ星でないのかって?
決まっているだろう。私は、小谷野敦と同じ年齢で、しかも彼よりもてないのだ。これが減点せずにいられるわけがないわな。