Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

風俗店経営の社会科の教師

盛岡市で、私立高校の社会科の教師が副業で風俗店経営を行っていたという記事があった。
疑問に思ってニュースを読むと「風俗営業適正化法違反」つまりは、風俗店経営が禁止されている繁華街で営業していたのであるそうな。
早い話が「学校教師が風俗店経営をしていた」から摘発ではなく「禁止区域で営業していた」からなのである。つまり、適法とされるエリアにあれば、何の問題もないことになる。

そもそも、社会科の教師でなくても「法律に違反してはいかん」のであって、別に議論の余地もないことである。もっと言えば、一般に、風営法違反の風俗店の摘発なんぞ、別に珍しくもない。ニュースになる価値もないことであろう。
だから、このニュースは、もちろん「高校の社会科の教師が」というところに、ポイントがある。

で、こう思うわけである。
教師といえば、生徒に「職業に貴賎はない」と教えるのであろう。(日教組であれば、間違いないことである)もしも風俗営業がいかん、というのであれば、それは職業差別ではないのかな?
公立高校の教師は公務員であるから、副業をするのはいかんのかもしれんが、私立高校である。問題ない。
また、教師は経営者であったわけだが、「起業」の自由は何人にもあるはずであろう。彼が経営をしたこと、これも問題ない。いや、それどころか、よりビビッドに「経営の苦労」を教え子に語れるのかもしれないぞ。金繰り、人材採用。いろいろ語ることはあるかもしれない。何しろ社会科教師だ。

で。もし彼が、教え子を「お前は勉強にも向いていないし、進学できる大学も見つかりそうにない。どうだ、いっそ俺の店で働かないか?」と誘ったらどうであろう?公私混同、という批判はあり得るなぁ。だけど、教師が教え子の就職先を周旋するのは、世間一般に格別問題となる行為ではない。自分の会社であればいかん、というのは、理屈に合わない気もする。

結局、この問題が我々を困惑させるのは、「教師」とか「医者」とかは、他の職業よりも格別に、他者への奉仕が求められる職業だという前提があるからであろう。
風俗営業は「金儲け」のためにだけする仕事だという認識があるのだと思う。金儲けとは、「自分のために」するものだ。他人の為に金儲けする人間を、私は知らない。だから、むき出しの金儲けが教師に見えたことに、とまどう人も多いのであろう。

だけれども。
最近の教師のように「教師も労働者にすぎない」という主張であれば、彼が月曜代休をとったり、より収入を求めて「副業(それがなんであれ!)」に手を出したりすることを批判することはできない。医者がアルバイトすることはよく知られている。教師は、アルバイトの選択が医者よりも狭いから「工夫」しただけ、とも言える。

他人のために、一生懸命努力するのも人間だが、そればかりでも人は生きていけない。労働をみな全て尊いものとして一線上に並べてしまうと、このようなケースは起こるし、金銭を得るのは人間として当然追求できる権利だという前提があるなら、それを止めることもできない。

私には子どもはいないから、何とも言いかねるのだけど。
もし子どもがいたら、この教師には学ばせたくはない。なんでそう思うのか?
それは、この社会科教師が、実社会に「役立つ」ことを教えそうな気がするからだ。勉強は、役に立たないから尊い
実社会のことは、実社会にでれば、自然と覚えるものである。実社会のことを気にせず勉強できる学生時代は、なるべく役に立たないことを教えて欲しいと私は思う。