Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

占いについて

占いというものは、必ずうまくいかないものである。だから、止めた方が良い。

その理由とは。「占ってもらいに行く」という心をもった時点で、ものごとは必敗だと思うからである。良い占いは、あやしい。
悪い占いは、もっともらしい。だけど、それは普通の常識というもので、占いではない。

だから、占いは当たらない、、、と言いたいのだが。

実は、占いとは「当たる」「当たらない」ということを問題にしないものなのである。
占いの語源は諸説在るが「裏ない」で、物事の表面ではなく裏面も含めてよく考える、ということから始まったという話を聞いたことがある。
易とか占星術とかは、その「裏面」を考えるときの単なる手がかり(指針)に過ぎない。「今はこうだから、こう思う。だけど、よく考えてみると、裏からいえば、こうもあるよね」という程度のもの。
そう思って聞けば、それはそれで良いのだが。

○○の母、みたいな高名な占い師が居る。誰もかれもが「悪霊が憑いている」といわれ、清めの塩を使えと言われる。だけど、ね。塩で運勢が好転しますか??
ちょっと考えれば、わかりそうなものである。
それで「あの先生に占って貰ったのに、ちっとも当たらない。良いことなんかない」と怒る人もいる。
そんなものを信じた時点で必敗だと言うのである。

学生の頃、学園祭で易者をやった。中学の頃から易経に親しんでいたから、それなりのことは喋った。
女性の相談は恋愛関係が多かった。内心困りつつ(なにしろ、経験が少ないからわからない。。。)なんとか四苦八苦、常識から考えつつ回答していたら
「じゃあ、センセ、もし私がカレとうまく行かなかったら、センセがあたしと付き合ってくれる?」と聴かれたのだ。これには参った。その子は、なかなか可愛い感じの子だったので、よけい困ったなぁ。
それ以来、他人の依頼で筮をとることは止めた。
占いなんて、実際については無責任だと痛感したのだった。

いまでも、毎年旧暦の正月に「初占」を行う。今年一年の方針を得ようとする。すがるのではなく、当たるのでもない。考えるための手がかりにする。メモをとり、折に触れ思い出す。今年一年の初心を忘れぬ効果はあるような気がしている。

そういうわけで。占いは、信じるものではないと思うのだなぁ。