Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

市場分析的に考える自民党の変質

ぼちぼち小泉さんの任期終了も迫ってきた。今は「次期総裁」であっちもこっちもきな臭い雰囲気であるが、ちょいと「小泉改革」について、思うところをつらつらと書き留めてみよう。

実は、小泉首相は公約通り(笑)「自民党をぶっ壊した」と思っている。その一番の変革は、自民党が「都市型政党」に変貌した、という点だろうと思う。
ちょっと前まで、自民党の票田といえば「農協」であり「地方ゼネコン」であった。つまり、「農村に強く、都市に弱い政党」が自民党であった。
ところが、小泉改革は、この構造を変えた。

農村の人口流出には歯止めがかからない。もちろん、農政の問題だって大きいが、本質は、世界経済が「工業化社会」になってしまっていることだ。日本の政治が多少頑張っても、たぶんどうにもならない。一方、都市人口は増え続けている。どんどん「都市化」が進んでいる。
かつては、工場労働者が主体となった労働組合革新政党の支持基盤だった。しかし、工場は海外進出して、工場労働者も減っている。
農村も工場労働者も、マーケティング的にいえば「衰退市場」であった。これらの地方の議席数は減っていくばかりだろう。そして、都市サラリーマンを中心とした巨大な「無党派層」という名の新市場が現れた。都市の議席数は、今後も増えるだろう。
小泉首相は、実はこの「都市」という新市場の攻略を考えたマーケッターであったと思う。

公共工事を大幅に減らした。これによって、地方ゼネコンの支持はなくなった。それ以前からの農作物自由化は、農村の支持を失わせた。郵政民営化で、過疎地の支持もなくなった。三位一体の改革で、地方議員の集客装置も機能しなくなるであろう。
自民党は、すでに都市の「浮動票」頼みの政党となった。

もともと、革新政党は都市部に強いはずであった。なぜ、それが支持を失ったのか?
そして、自民党はなぜ、都市において支持を得たのであろうか?

今の都市民は、自分達がもっともカネを稼いでいるにもかかわらず、自分達に向けられる政治の保護はあまりに小さいと考えている。もっとも税金を納めているにもかかわらず、いつまで経っても満員電車に苦しみ、住宅事情の悪さに苦しみ、治安の悪化に苦しむ。それが常態化している。もう政治に期待はしなくなった。
事実、かれらの生活を豊かにしているものはコンビニであり、宅急便であり、レンタルビデオショップであろう。政治が何をしてくれたというのだろうか?

革新政党は、政治が暮らしを良くすると言った。それはウソだと都市民は知っている。政治は、我々から税金を巻き上げるだけの存在だというのが、多くの都市民の感覚であろう。農協が米を買い取ってくれるわけではない。都市民にとっては、給料天引きをくらって、消費税を納め、3月になると決まってあちこちで道路工事のために渋滞で苦しめられるのが政治であると考えている。
小泉首相は、生活は良くならない、世界は弱肉強食の社会だ、もう日本にはカネはないといった。その上で、カネを使っている者をまず減らそうと言ったのであった。だから、都市民は、そこに真実のニオイを感じたのだと思う。
今でも小泉首相の支持率は高い。政府がみんなの暮らしを良くすることなんてできやしない、どうせできないのだからカネを使うのを止めよう、という政策は「小さな政府」と喚ばれているが、いまだに都市民の心をとらえている。「政府なんて、結局ろくなもんじゃない」という怒りが、その根底にある。自民党をぶっ壊した首相に支持が集まる所以である。
これは驚くべきことである。小泉首相の支持基盤は、実は「反政治」であるからだ。

すでに政治の焦点は、保守対革新ではない。右と左の論争なんて、ソ連崩壊の時点で終わっている。いまだにその枠組みでしか政治を考えられない共産党社民党も冷笑の対象でしかないから、支持は減る。
本当の争点は「都市」対「農村(地方)」であり、政治にまだ何か希望するか否かということであろう。

いずれにせよ、自民党が選挙に勝とうとすれば「都市で人気のある人」を選ぶ他にない。都市で人気のない人を選んだ時点で、自民党は地方ゼネコン政治に引き返すだろう。政権党だから、まだそれが可能だが。
小泉首相は、既に「引き返すことはできない」と見切っているのかもしれない。
間違いなく、日本の戦後政治史上初の「都市型宰相」であったのだと思う。