Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

棒銀戦法による解説

KABUさんのこの記事は「国家」と「憲法」の関係について、「国民国家」と「民族国家」のに二項対立に新たな視座を付け加えるもの。丁寧に読んでいくと「なるほどなぁ。。。」と思わされた。私としては、自分とKABUさんの違いもなんとなくわかって面白かったのだけど。この議論は、過去の棋譜を的確に押さえつつ、しかも最新の定跡分析にも抜かりのない名人級であると思われる。あんまりスキがなさすぎてコメントがつかないのか、それともKABUさん読者の方からすれば、みな了解済なのかもしれないなぁ。

で、私は、このKABUさんの記事の前提となっているガイドラインによって、憲法と国民の関係を例によってすごくエーカゲンに書いてみよう(笑)。私の学生時代の不真面目な法哲学が悔やまれる次第で、つまり名人のあとに「棒銀戦法」をご披露する趣向である(爆笑)で、20ン年前のいい加減な勉強から進歩してないんであって、噴飯ものの超古典的解釈が炸裂しますんで、まあ壊れたツボのかけら、くらいに思って読んでくださいな。

この議論を理解するには「国民国家」「民族国家」の違いがわかると、とても楽ちんだ。
そこで、この違いを「棒銀戦法」によって解説してみよう、と。つまり、この手はたぶん、今のプロは誰も指さないだろうということで(苦笑)
まず、国家について、その成立を大きく2種類に分類して「人工国家」と「自然国家」という。(だけど、最近はあまり流行らないです)で、ちょっと別の言い方があって(厳密には違う概念だけど、めんどくさいから一緒にして)「大陸国家」と「海洋国家」という。

大陸国家というのは、具体的に身も蓋もなく言えば「大陸の中に人間が線を引いてつくった国」である。(ひどい解説。。。匿名でよかった私のブログ!)まず、イデオロギーなり利権集団なりがあって、「おおい、ここに俺とおなじ考えの奴で集まろうぜ」という。それで、あちこちの地方などがわらわら集まる。そういう活動を「建国運動」だの「革命」だのと名前をつけるわけですが。そうやって、適当に集まったところで、「じゃあ、これが俺たちの国ね」といって線を引いて国の出来上がり。そのときに集まった連中の「おなじ考え」という奴を「憲法」と呼ぶ。あくまで人が作った国という意味で「人工国家」。この考え方は、フランス流の大陸法という考えに起源があって、もっと哲学の歴史を遡ると「大陸合理論」に行き着くのだな。つまり、まず「ある(正しい)考え」があって、それにみんなが「賛成」だと。そうすると、そもそもみんなが納得するルールが先になきゃいけないことになる。つまり、憲法が国家より先になる。これを国民国家という概念にしてるわけだなぁ。

これに対して海洋国家は自然国家とも言うのだけど(大丈夫かオレ。。。)つまり島国とか、大きな山脈で隔たった地域とかで、まず国境線が自然にできている。まあ、どんな国境線でも人工じゃんか、という批判はあるのだけど(笑)基本的に海岸線なんかは人間がひいたものじゃないので、茫漠とした大陸の中に線を引くのとは違うだろうってことで。すると、ここに勝手にわらわらと人が住み着いて、お互いに交雑して(笑)だけど海岸線の外には出にくいので、なんとなく同じ民族で住んじゃう国みたいなもの(近代国家じゃないので)ができてくる。そのうち、内部で勝手に統一したり、外から迫られたりしてまとまったときに「それじゃ、お互いの合意事項を書いておくべ」といって書いたのが憲法。で、この合意事項は、人々が暮らしている中で、だんだんと決まったルールを書いておくのが普通だから(じゃなきゃまとまらない)おーざっぱにこういう流儀を「英米法」といって「判例法」や「慣習法」を重んじることになるのだけど、この源流はイギリス経験論というやつにさかのぼる。とりあえず、「今までだいたいこんな感じ」という事実の積み重ねで先で、それをまとめて法律に書く。それは憲法だっておなじこと。だから、この場合は国家が先で、憲法が後。これを民族国家と説明している。

イギリスも島国であることはご存じのとおり。で、イギリスの憲法は「不文法」で、「書いた憲法」がないのだけど、つまり、この考え方でいけば、そもそも「紙に書く」必要はないじゃん、ということもあるわけだな。経験があればそれでいいや、と。

「え、じゃあ、日本は民族国家なんじゃないの?海洋国家=自然国家でしょ?」と思った方、それは言わないほうが良いかもしれん(笑)ええ、一部の評判の悪い守旧派(苦笑)の見方ではそうなる。で、こういう見方は「憲法原理主義」からすると、非常に都合が悪いのだなぁ。つまり、日本は敗戦で「生まれ変わった」わけであり、「日本国憲法」が先に成立して、みんなが賛成したから日本が出来たんだ、というフィクションが大事なので。憲法原理主義者が、ほとんど大陸法的な憲法見解をとるのは、この国家成立の順番が(フィクションなんだけど)違ってしまうのでマズいからであるのだ。もっとマズいのは「だって、日本国憲法ってアメリカ製でしょ?輸入物じゃん」で、それをいっちゃあオシマイなんである。あくまで「とっても正しい憲法が先」じゃないと。

ここから、ちょっと脱線。例えば、ロゴスとしては、こんなことも考えるわけで。
自衛隊憲法9条違反」という議論は有名だけど、それはほっといて(笑)
もしも、残念ながら皇太子殿下も宮家も男子のご誕生がなかったとき。「皇室典範改正」じゃなくて「憲法改正」ではイケナイか?いや、だって、もしも天皇陛下がおられなかったら(!)憲法第6条、第7条の総理大臣任命や国事行為をどうするか?だって、天皇陛下以外の誰か行えば、それは「憲法違反」でしょう?(「摂政」というのは、天皇陛下の代理であって、天皇陛下が存在しなければ代理もない)そうすると、憲法改正して酋長を任命するとか、どっかの国の主席とか大統領とかに任命してもらうか(苦笑)
それより、もしもそういう事態になったとして、じゃあ最高裁が「違憲判決」を出したとして、どうするのか?ってこと。違憲状態を解決するのに、憲法改正するか皇室典範改正するかだけど、その国会召集すら「違憲」になっちゃうぞ?!「違憲」の国会で法律改正したらどうなの?とか。

それだけじゃない。ニートの諸君は憲法違反である(笑)憲法第27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」就業能力がありつつ、意志がないのがニート(笑)これは明白だなぁ。「国家を制約するのがそもそもの憲法の目的」という論理があるのだけど、それを言うなら「じゃあ、そもそも義務を書く必要ないじゃん」という反論は痛い。。。

このへんの論理を考えてみると、憲法を考えるきっかけとしてはいいかもしれんと思ったりする。憲法はフィクションであるとするか、あるいは歴史的所以(つまり、経験論的な積み重ね)とするか、色々な考え方が出てくるように思う。

で、KABUさんは、「いや、こんな二項対立そのものが構図としていいの?」とおっしゃるのですな。「ほかに方法があるでしょうに」そのあたりは、トラックバック先を読んでいただいて。私には、これ以上乱暴に説明するのは、さすがに良心が痛むので(笑)

ううむ、、、読み返してみたら「棒銀」にもなってないかなぁ。。。これはいかん。あんまり真に受けないように。私の力不足に憤りを感じる方には、誠にすまんと土下座して詫びるばかりです。。。