3巻だったか?「やっちまった」子供時代の思い出がでてくるシーンがあります。
子ども時代の著者が、家の中で一人留守番をしている。
ふと、箪笥を見て思う。「ああ、これは幻なのに」
畳をみても思う。
実際に、自分の腕をつねると痛い。痛いが「でも、この世界も幻なのに」と思う。
子ども時代の著者が、家の中で一人留守番をしている。
ふと、箪笥を見て思う。「ああ、これは幻なのに」
畳をみても思う。
実際に、自分の腕をつねると痛い。痛いが「でも、この世界も幻なのに」と思う。
そこで、突然に思う。「ああ、やっちまった。。。しばらくは、こっちだな」
読みながら、ああ、と思った。
おんなじだ、と。
おんなじだ、と。
私も、子どもの頃、やっぱりそう思った。
この「やっちまった感」は、どこかに、いつも根底にあるような気がする。
この「やっちまった感」は、どこかに、いつも根底にあるような気がする。
生まれてくるのは素晴らしい、人生は素晴らしい、という。
しかし、本当にそうかな?
しかし、本当にそうかな?
私は、根底に、いつもその「やっちまった感」を抱えているような気がする。
生まれてきてしまったのは「ついうっかり」「あ、、、やっちゃった」という感覚である。
物心ついたときから、なんとなく、いつも思っていた。
生まれてきてしまったのは「ついうっかり」「あ、、、やっちゃった」という感覚である。
物心ついたときから、なんとなく、いつも思っていた。
ぼちぼち齢50を数えた。
なので、この「やっちまった」一幕も、終了のほうが近くなったと思う。
なので、この「やっちまった」一幕も、終了のほうが近くなったと思う。
なんで、こんなへまをしたのか、だから言わんこっちゃない、というのが、今の正直な気持ちである。
いつかは、誰でもその時がくるのであるが、気をつけなくてはいけないのは、またやっちまうことである。それだけは、もう勘弁して欲しいものであると思う。
「永遠の命」を信じる宗教の方々もおられるようであるが、私に言わせれば、終わりのない罰ゲームのようなものに思われるんですなあ。
自分だけがおかしいの?と思っていたが、ほかに同じ感じ方をしている人をみつけたわけで、ほっとしている。
ちなみに、この著者も子供がいない。
当然である。
やっちまった人を、増やすわけにはいかないからね(苦笑)
当然である。
やっちまった人を、増やすわけにはいかないからね(苦笑)