Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

雨の降る日曜は幸福について考えよう


今や、日本の代表的「リバタリアン」である橘氏の初期の本。残念ながら現在絶版である。
しかし、この本は名著だと思うのである。

リバタリアニズムについていえば、これは「自由原理主義」と訳すのが正しい。リバタリアンは「原理主義者」である。
つまり、彼らは、「人間は、自由にすれば最大多数の最大幸福が得られる」という「功利主義者」でないのである。(この主張はレッセ・フェールに近い)
そうではなくて「人間は自由であるべきである」というのである。「結果が良いから自由が良い(もしも結果が悪ければ、自由の制限もやむを得ないとも言える)」のではなくて、「自由が良いから結果が良い(結果が悪いのは自由が足りないからだ)」のである。同じ事を言っているように聞こえると思うけど、実はとんでもなく違う思想である。
古典的自由主義リバタリアニズムは、表層が似ているだけであって、リバタリアンは「過激派」の思想だろう。そこが魅力でもあるのだ。

さて、ライブドア事件であるけど、(国策)裁判の判決が適当かどうかという議論はほっといて、その批判のなかにおかしな論調が混じるのが気になる。
それは「投資家に損害を与えた」というのである。

逆に考えれば、ライブドア社の株価が永遠に上がり続けて(!)買った皆が得をしたら、犯罪ではないということになる。(実際にはあり得ないが)

もちろん、ライブドア社の犯罪の構成要件としては「粉飾決算」「偽計」「風説の流布」であるから、このようなワイドショー的な批判とは異なるのだけど。

あえて、ワイドショー的な批判に対して、本書では明快にこう応える。
「投資家の唯一の仕事は、損をすることである」
考えてもみよう。
「投資家」は、なぜ株を買っただけで、その(配当にせよ売却にせよ)利益を手に入れる権利を主張できるのだろうか?それは投資家が、逆に儲け損なったときに「損をする」からに他ならない。投資家は、会社が儲かっているときには、何も仕事をしない。ただ寝ていて、利益を手にする。かれが仕事をするのは、会社が損をしたときだ。そのときだけ、投資家は彼の仕事(損)をする。

リバタリアニズムの特徴は、人間の自由に「愚行権」を大きくとることである。間違った行動、愚かな行動をする「自由」を最大限認めよう、そのためにパターナリズムを廃そう、だから政府は小さい方がいい。

これらの論理は、しかし、透徹した一つの思想となっているように思える。

評価は☆☆。

一読の価値は充分にある名著だと思う。著者の初期の本であるから、後になって書かれた著作のような求心的テーマがない。それだけに「考えさせる」良書だと思う。

ただし、惜しいかな絶版である。こんな本でも絶版になるのかと思うと、リバタリアニズムの将来を憂う気持ちが湧かないでもないな(苦笑)

ついでにいえば。
イスラム原理主義者とリバタリアンは「原理主義者」という意味では等価であって、ただ対象がコーランか自由かという違いがあるだけである。どちらを信じた方がマシな世の中になるのか、それはわからない。だけど、イスラム原理主義者は「反米」だから善、リバタリアンは「親米」だから悪、という(それこそワイドショー的な)見方もある。同じ原理主義者を扱うのに、なぜかような違いが出るのか?
彼が「イスラム教徒」であるなら、それは宗教的情熱で説明がつく。そうでない場合は、やはりそれも「反米」という「原理主義」だと言わざるを得ないのじゃないか?などとも思うのである。
え?!屁理屈だ?!
いやだなあ。
このブログは、そういう「屁理屈」を並べるためのものなんだから。