Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

黄金の扉を開ける賢者の海外投資術

「黄金の扉を開ける賢者の海外投資術」橘玲

私は、著者の橘玲は「思想家」だと思っている。それも、たぶん日本の代表的な「リバタリアン」である。リバタリアニズム新自由主義=ブッシュと小泉の弱者苛め、みたいな社民党の護憲論的「不自由な」連想しかアタマに浮かばない人々は、リバタリアニズムの恐ろしさを全く分かっていないというべきだ。
リバタリアンは、右翼も左翼も超越した「売国奴」なのである。思想としての完成度でいえば、私が知る限りグレーシー柔術並の実践的な最強クラスであって、左右いずれも秒殺である。

この本は、著者にしてはかなりテクニカルな解説が多い。だが、読了して思うのは、実は世界で自由なものは貨幣であり、我々が貨幣を手に入れたいと願うのは、実は自由が欲しいからに他ならない、という単純かつ強固な真理だ。

まず、冒頭は「究極の投資術」の紹介から始まる。ここは、実は思想への「気づき」の導入部分にあたる。
つまり、サラリーマンが会社で働くこと自体が、実は日本市場で自分の労働力という人的資本を投資していることである、という単純な事実。
住宅ローンを組んで住宅を購入することは、実は自分の収入が「得られるだろう」という予測(!)に基づいて、その収入の何倍もの不動産投資をするという、先物取引に似た「レバレッジを効かせた投資」に過ぎない、ということ。
それゆえ、運用が失敗したり(不動産の価値の下落)予測がはずれたり(つまり失業など)すると、たちまち「レバレッジを効かせた」分だけ、損失を被る、という冷厳な事実。

株式投資を「借金して行う」といえば、「もっとまじめに働けよ」と思う日本人は今でも少なくないだろうが、その人がもしも住宅ローンを組んでいたら、たぶん彼に他人を批判する根拠は何もない、ということ。

為替FXで、どんな経済情勢だろうと、つねにスワップ狙いで「円売り、ドル買い」のポジションを取るしかしない素人投資家達の行動そのものは、実は日本売りそのものであること。
海外取引におけるコルレス口座の存在自体が入れ子構造をとるために、まったく各国政府の外貨管理が不可能であること。しょせん「国家」という枠でしか機能しない法律や規制は、本来的に貨幣に対しては無力であること。
租税回避地タックス・ヘイブン)の実態と、税務当局との攻防が、実は「主権」という概念上の問題でしかないこと。

評価は☆☆。実に、示唆に富む本である。一つ一つは、既存の知識で知っている点も多いのだが、それらの点が最後に線につながるのだ。その手際が、実に鮮やかである。

それにしても。
サブプライム問題」で大騒ぎしている昨今であるが、以前に指摘したように、日本の金融界はサブプライムではほとんど被害を受けていない。そもそも、国際金融投資の世界からいけば、まったく離島みたいな我が国の金融界であるから「被害を受けられなかった」というほうが正解かもしれないな(苦笑)。
すると、当然の帰結として、円高ドル安になるわけだ。為替FXで、調子にのってレバレッジを効かせすぎた人たちは、かなりの損失を被ったのではないか、と思う。仕方がないので、投資家の仕事は「損をすること」だからね。

あの銘柄がどう、この銘柄がこうと「銘柄研究」したり、そろそろ売りだ、いや買いだと「相場観」を養ったりすることは、実は「仕事」ではない。仕事は、既に市場がしているものであって、投資家の仕事は「リスクをとること」である。
リスクをとるとは、場合によっては「損をする」ことだ。「損をする」仕事をするかわりに、うまくいけば「働かなくても、お金を得る」こともできる。
自己責任とは、つまり、このバランスをきちんと取ることを意味する。多くのものを望めば、多くのリスクを取らなくてはいけない。場合によっては、多くの「仕事」をする羽目になるのだ。

投資によるリターンの源泉は、市場の「ゆがみ」である。その市場の歪みが、利益を生む。
いかなる投資も、市場が歪んでいないとき、つまり「価格変動がない」時は、利益を上げることができない。それを「休むも相場」という格言で表す。

我々の労働自体が、人的資本による投資活動である以上、そこに資本の歪みがなければ利益をあげることはできない。そのときは「休む」のが正解、ということになる。

つまり。成熟してきた経済下における社会では、休むことも必要なんですよ。
いつか、ゆっくりと隠棲したいものである。