Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

食料問題から考える捕鯨

今更、日本が何を言ったって、捕鯨解禁になるわけじゃなし、かえって世界で孤立するだけだからやめておけ、という議論もある。
一抹の真実としては確かにそうなのだが、だからといって、鯨が食えぬのは口惜しい。私は、食いしん坊である。食い物の恨みは深いぞ。
ではどうするか?そんなことは決まっていて、食いたければ犯罪をすればいいのである。このままいけば、世界に冠たるジャパニーズ・マフィア「ヤ○ザ」がシノギのために、そういうものを食わせる店を系列に持つようになるであろう。
で、こそこそとそこに通う。たぶん法律で「売るのは違法、食うのは合法」とかいうイキな定めになるに違いない。こういう場合、リスクをとった店はそのぶん高価な商いができるというのが市場原理である。当然の仕儀である。
かくて、日本語で「悪所」というのが「鯨を食う店」という意味になる。もともとのほうも、ヤ○ザが経営しているわけだし。
などというのは、未来図としてはいかがでしょう?(笑)

で、捕鯨に関連して戯れ言を一つ。
ほかでもないが「食糧自給率」との関連である。

今の日本人が自給できるほど鯨を食ったら、資源が枯渇しちゃうじゃないの、という話じゃなくて。食の「質」と「自給率」の関係の話である。

江戸時代の日本人口が3000万人で、どうみても4000万人には届かず、従って「石油輸入のない日本が自給できる人口」がその程度、という話はそれなりの説得力がある。しかし、この話には、当時なかった「品種改良」の成果が抜けている。
今の米は、江戸時代のそれに比べると、生産性が2倍なのである!冷害にも強く、収量も多く、食味も優れている。農業技術の発展はすごいのである。
じゃあ、単純計算で6000万人~7000万人が食えるじゃないか、ということになるのだが。
ところが、ここに問題があって、江戸時代の日本人のタンパク源が、ほとんど味噌と小魚であったことである。つまり、肉食がない。
この肉食こそ「食の質」を決定づけるものである。
名著「人間の生物学」菊池俊英氏によれば、肉1キログラムを生産するのに、トリでは2キログラム、豚では5キログラム、牛では10キログラムの穀物飼料を必要とする。
鯨はゼロ。まあ、当然だ。
すなわち、仮に今まで年間で鯨肉5キログラムを食っていた人が、その肉を牛に変えると、穀物にして50キログラムを余分に消費することになる。そう考えると分かるのは、江戸時代の日本人が肉食を「しなかった」のではなく「出来なかった」というほうが正しいだろう、ということになる。そんな生産余力はないのである。
だから、明治に「文明開化」をしたから牛を食いだした、というよりは「貿易」の開始の結果「食えるようになった」のだと理解すべきだということである。
結論から言えば、今の西洋化した食文化で飯が食えるのは、日本が貿易で稼いでいるからで、それがダメなら肉は食えない(漁業は除いて)ということである。

つまり「鯨を食うな、牛を食え」は、その分「穀物を買え」というのと、経済的には等しい。穀物輸出国が捕鯨反対をするゆえんである。

当たり前だが、「食事の質」が低い人たち、すなわち経済的に難がある人の食事内容は、圧倒的に穀物食である。それ以下に落とせないのである。

バイオガソリンもそうなのであるが、つまり金持ちがたくさん穀物を消費するようになると、今すでに穀物主体の食事をしている人たちは、いったいどうなるのか?捕鯨問題に関して言えば、「鯨と人間と、どっちがかわいそうかね?」という質問は、少なくとも的を射ているのである。

捕鯨禁止に関して言えば、アメリカのアラスカ州エスキモーは「伝統的に捕鯨食」であったので、特に捕鯨許可であった。日本がそこで言った。「日本人も、伝統的に捕鯨食である」古事記にもあるんだからさ。
さすがのアメリカも、これには反論できなかった。で、ダブルスタンダードを責められたアメリカは、エスキモーの捕鯨までも禁止してしまった。
主食を禁止されたら、いったい何を食べるのだろうか?つまり、エスキモーは工場労働者になるか、さもなくば政府の生活保護を受けなくては生きて行かれなくなった。エスキモーの生活は滅びたのである。

ところで。
この「捕鯨反対派」に対して、どうして護憲派は「政教分離規定への違反だ」と言わないのかな?
ああ、政治家だけは言っちゃいかん、のでしたな。当選したら黙る、落選したら「ただの市民」だからオッケー、ということで。
つまり「当選したとたんに手のひらを返す政治家」で問題ないということかね。すごいな。
世界的に見たら、日本の護憲派政教分離解釈が、めちゃくちゃレアだというモデルケースにあたると思われるが。

やれやれ。

このままだと、そのうち没落する日本に住む日本人は霞を食え、なんて話になるのじゃないか?まじめに心配しているのだけれども。