Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

「民」富論

「「民」富論」堂免信義。

著者は、この本で「今までの経済学は間違っている!ついに独自の経済学を発見した」と言う。
この「経済学」を「相対性理論」に置き換えると、同工異曲の本がたくさんありますなぁ。

さて、この本の主張「赤字国債は、国民への贈与である」というのがあります。なぜかというと、赤字国債を発行して、政府が何かの仕事を民間に発注する。そうすると、そのお金は、民間に流れることになります。
しかし、政府は赤字国債を発行しているのだから、最終的には赤字は返済される。つまり、国民から見ると、出したお金はすべて戻ってきて、さらに後で返済がある。これはいいじゃないか!ということです。画期的な理論ですね(笑)。おもわず「なるほど!」という人が出てきちゃいそうです。ますます「アインシュタインは間違っていた!」と言いそうになります。

さて、では、このように考えてみましょう。
私の会社が、社員に給料を払います。しかし、会社にはお金がありません。そこで、社員からお金を借りて、給料を払うことにします。
すると、社員は「給料をもらえた上に、会社から返済もあるので、これは会社から社員への贈与になる」だから社員は大喜び。画期的です。
なんだ、早く気がつけばよかった(爆笑)。こんな楽な経営はないやね。
皆さんが社員だったら、大喜びするでしょうか?うふふ。

どうしてこんな事になってしまったかというと、たぶんお金の動きを「単式簿記」すなわち「子供の小遣い帳」と同じく、タテ一線で考えてしまったからですね。
実際には、政府が赤字国債を発行するときには、民間がそれを引き受けますので、民間のお金が減ります。会社でいえば、社員のお金を会社が借りますから、社員のお金が減ります。
それを、政府が公共事業の形で民間に払います。会社は、給料で社員に払います。
そうすると、民間は赤字国債を引き受けたお金が戻ってきたことになります。社員も、会社に貸したお金は給料で戻ってきます。
そうしても、民間は、政府に貸したお金を取り立てる債権は残ります。社員は、会社に貸したお金を返してもらう債権が残ります。
さて、民間はお金を返してもらうまでは、タダで仕事をしたことになります。社員は、会社にお金を返してもらうまでは、実質ただ働きと同じです。ほら、ね。
ただ働きのものを「贈与」とは言いません。それは、社員も民間も同じ、ですね。

つまり、お金が動くときは、つねに「相手勘定」があります。公共事業にしろ、給料債権にしろ、それは労働の対価です。
会社が給料を払うのに、それを社員から借りていたら、相手勘定の「給料債権」がただの「金融債権」に付け変わっただけです。その理屈は、政府だって同じ事です。
債権の自己勘定を変えると、資金移動が起こって、B/S上良くなるというのは、一種の飛ばしですし、その相手を特定して「景気が良くなる」というのは、ネズミ講の「子供ネズミが在庫を買えば、そこでお金が回る」と同じです。
最期に精算されるまでは、この理屈は成り立つように見えるのです。それは、債権の精算までを、無限に切ってみせただけの理論なんです。
経済におけるゼノン「アキレスが亀においつけない理由」と一緒。無限に政府が借金できるのであれば、無限に民間をただ働きさせられますから、この理屈が成立するように見えます。しかし、最期に民間が政府の借財を引き受けられなくなって(だって、政府の赤字国債をひきうけるために、民間のお金は減少するのですから)破綻します。
社員の場合は、会社に自分の給料を貸し付けられなくなって(ただ働きを続けていればそうなります)破綻します。

経済学の基礎は「需要=供給」です。ですから、経済のお金は「回る」ことが大事なのであって、お金の総量は増えも減りもしません。その著者の指摘はあっています。ただし、無意味にお金が移動すればいいのか?というと、そうではありません。私のお金を、右から左へ動かしても、それは経済の活性化にはなりません。
よく数社でグループを組んで、それぞれがお互いから必要なものを買えば、それでお金が回るので破綻しないという理屈があります。その前提は、お金を出して買ったもの(相手勘定)が次の付加価値を生むか?つまり、またお金を回すことができるかどうかなのです。

評価はナシ。
もちろん、この作者の憂国の情を否定はしません。きっと、科学の進歩とグローバリズムのもたらす窮乏化を、著者なりに必死に考えたのでしょう。

私は、この本を読みつつ、呉智英氏が書いた独学の悲しさを示すエピソードを思い出しました。
ある貧窮した家庭で、数学の素質のある少年が中卒で働かざるを得なくなります。先生は、「たとえ貧乏でも、勉強はできる」と言って、彼を送り出します。
その教師が定年後のある日、その元少年が、老教師のもとをひょっこり訪れます。「先生、私は、大変なことを発見しました!」
暇さえあれば、紙の余白で計算を繰り返していた彼の発見は、なんと「二次方程式の一般解法」でした。元教師は、天を仰ぎます。それは、彼が進学していたら、半年後に学んだはずのものだからです。
いたましい人生の回り道。

この本のオビに、ある政府高官も激賞、と書いてあります。この国大丈夫か?!と私も憂国の情にかられます。
それより、この著者が原稿を持ち込んだとき、どうして編集者は、一度でいいから駆け出しの会計学か経済学者に一読させなかったのでしょうか。
版元に責任があると思います。