Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

テレビを眺めるだけの正義

ミャンマーが大水害に見舞われたにも関わらず、他国の支援を拒否して国際的非難を浴びているところに、今度は中国の大震災である。
現地からのニュースは悲惨の一語につきるのであるが、おそらく、中共政府はやはり国際支援の受け入れを今のところ表明していない。チベットに近いことが影響したか。

いずれにせよ、ここで指摘しておかなければならないことは、国際援助の受け入れを強制することは「内政干渉」になってしまう、ということである。
支援を受け入れるか否かは、それぞれミャンマー中共の政府が判断することであり、他国に強制されることではない。
彼らは「結構です」と断る権利を有している。

しかし、一方で、たとえば支援受け入れによって助かる人命が多数あるとすると、どうであろうか。
被災地では、衛生状態の問題から感染症の発生や医療体制の不足、食料および飲料水の不足などの問題もあって、さらに人的被害が拡大する可能性が高い。
もしも政府が支援の受け入れを拒否すれば、間接的に自国民を死に至らしめていることになりはしないか。
「人殺し政府」という批判を、あながち「的外れ」と言うことはできないように思う。

国際社会は支援受け入れを要請し、拒否を続ける政府を非難しつづけるだろうが、それだけのことである。それ以上の介入は、国家主権の侵害となり悪となる。
この状況を端的に表現するなら「国家の主権は、人命よりも重い」ということになってしまうだろう。

思うに、この判断にはイラクの教訓が大きく左右しているのではないかな。
イラクに対して、少なくとも大量破壊兵器の問題のほかに、クルド人を中心とした自国民の虐殺をフセイン政権が行っていた点があったはずだ。だからこそ、一応「人権」の御旗のもとに先進国により多国籍軍は(一時的にせよ)結成された。
しかし、戦後処理がうまくいかず、イラク国内の混乱が終息しないことから「イラクの問題に、他国が介入したのは誤りだ」という意見が強くなっているのは周知の通りだ。イラク人民の問題は、イラク人民が決めるできであった、アメリカを筆頭にした多国籍軍は間違いを犯した、ということである。

その見解が正しいならば、自国軍の銃口ではなく、天災で亡くなる人々に対して、なおさら内政干渉はできない道理であろう。
ミャンマーのことはミャンマーが決めるべきだ、中国のことは中国が決めるべきだ、ということだ。それが、中東で得られた教訓である、ということである。

そうして、結果、我々は被災地人民が、ただ死んでいくのを、テレビで指をくわえて眺めているだけになる。それ以上の干渉はすべきでない。
そう、我々が手に入れた「国際正義」とは、せいぜいそんなものなのである。

*2008/05/15 追記
本日、中国は日本の災害派遣隊の受け入れを発表しました。あえていえば「福田外交」の成果なのかもしれません。が、この決断に要した時間は、はっきりいえば「空費」です。誰のための政府で、何を考えて逡巡したのでしょうか。その間に、救われるべき人々は亡くなっております。日本の阪神大震災における村山元首相の「見殺し」教訓は、まったく生かされなかったということです。