Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

怒る。

秋葉原はよく出現する地帯であり、当日も「ちょいと久しぶりに買い物でも・・・」と思ったが、天候が今ひとつだったので断念した。私は、都内は自転車移動なので、雨が降ると出不精になるのである。
おかげで、凶行に遭わなくて済んだのかもしれない、と思った。

さて。
テレビ屋さんは好機到来なので、連日この惨劇を放送している。日本犯罪史上に残る大量殺人であるから、これは当然だろう。
しかしながら、さっそく「犯人は派遣社員で、リストラされたと勘違いして、、、現代社会の歪みでしょう」などという「バ解説」を垂れ流すのには、正直我慢ならぬ。
おめえ、それを亡くなった遺族の前で言ってみろ。この、たわけが。

世の中に、派遣社員さんは数多おり、リストラされる方もまた多い。いや、それどころか、もはや古き良き高度経済成長の時代は去ったのであるから、誰がいつリストラされても可笑しくない。公務員であっても例外ではない世の中である。
それを理由に、殺人を正当化されるのであれば、我が国はただちに内戦状態に突入するほかない。
寝言である。それ以上に、不適当である。

仮に、百歩譲って「リストラされた腹いせに、その経営者を襲撃」したならば、まだ理解もできよう。
しかし、無辜の市民を巻き添えにして、なんの言い訳が通るはずがあろうか。

そこで、はっと思いついたのである。「無辜を巻き添えにしても、それで通る」ことに。
それは、イラクである。

もしも、事件現場が「秋葉原でなくイラクで」犯人が「派遣社員でなくイスラム過激派で」あれば、無辜を犠牲にする行為は「テロ」である。
すると。テロは「反米」なので「正しい行為」すくなくとも「道理のある行動」となるであろう。テレビのアナウンサーは、彼を非難しないで「しかし、ここまで追い込まれたイラクの人々の気持ち、アメリカが諸悪の根源ではないでしょうか」と断じるに相違ない。それが、この国の知識人の態度だから。

あえて言うが「無辜を犠牲にする行為」は犯罪以外の何者でもない。
しかしながら、当節は、犯罪を犯罪として糾弾しない場合がある。

秋葉原事件の犯人が、もしも「格差社会に抗議するために」犯罪を犯したと裁判で言明したらどうであろうか?
私は断言しても良いが、それならば彼を支持する「知識人」は、ぞろぞろと出てくるだろうね。「彼の反抗は決して許されるものでないが」といいながら。
結果、犯人の肥大しきった自己願望は、まんまと達成されるだろう。

知識人よ。あんたらが、殺しても仕方ないと無言のメッセージを送ってなかったかね?少なくとも、その片棒を担いでいないかね?
「犯罪は悪だ」とはっきり主張してきたかね?
それとも「無辜の犠牲は、それをさせる社会やアメリカにも問題がある」と御為ごかしを言わなかったかね?
それが、心の弱い人間を、勘違いの間違った道に誘い込むことにならなかったと、はっきりそう言えるかね?

それとも「犯人の心が弱いのは、私のせいではない」とでも言うつもりかね?都合の良いときだけは自己責任論かね?

さあ、秋葉原に行って、七人の流した尊い血と、多くの方々の花束を、セル画を見てくるが良い。それが、あんたが是としたものだよ。殺された方に「物語」はないのだよ。あんたらが勝手に「物語」をつくるから、本当の「物語」は突然にぷつんと途切れてそれっきりだ。

私は思う。君らは、やっぱり間違っているよ。