Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

老兵は去りゆく

小泉元総理は、「かねての公言通り」65歳を過ぎて引退を決意されたようだ。この人の生き様は「知行合一」の陽明学派そのものだろう。

なんでもかんでも「小泉が悪い」という昨今であるが(苦笑)

その小泉氏が宰相に就任したとき、いったい世間はどうであったか?
日本は「失われた10年」で浮上せぬままであった。
日本の金融業は、山一ショック以来死んだままで、しかも「金融が悪いのに円高」という不思議な状況が続き、輸出もふるわずデフレばかりが進行していた。
小渕政権は、無定見な財政出動を行い「世界一の借金大国」に転落したにもかかわらず、効果のないケインズ的政策がずるずると続けらるのみであった。後継の「サメ頭」とあだ名された森総理は、かような国内政治に対して、驚くべきことに一片の処方も持たなかった。
官僚の天下りは常態化しており、特殊法人自体が年々増殖を続け、国富を鼠族が食い荒らす一方であった。そのような慢性的財政赤字に対しても、まったく先の見通しもなかった。
右を向いても左を向いても、先はまっくら、であった。

小泉改革の功罪を言うならば、その当時の状況を把握しなけれならない。日本人の悪いクセで、現状の問題点をすべて時の政治指導者に帰してしまう。戦争責任論と同じで、事実上の思考停止である。
ついでにいえば、スターリンが悪かったからスターリン主義だ、毛沢東が悪かったから毛沢東主義だという総括の仕方と同じである。そんなものは総括でもなんでもない。個人崇拝の裏返しだけのものだろう。

小泉氏は、竹中氏を起用して、経済政策においてマネタリズムを大胆に打ち出した。とにもかくにも、官僚の抵抗を廃し、郵政改革から特殊法人改革へ切り込んだ。金融に公的資金を注入し、再生を図るとともに、デフレ退治に乗り出した。円安に誘導し、輸出産業の復活を導いた。財政支出の削減を通じてプライマリーバランスの回復をはじめて目標として明示した。
国際関係においては、国連において常任理事国入りに言及するとともに、隣国に対して戦後はじめてモノを言った。
このすべてが、以前の総理になしえない事柄であったように思う。

功罪を論ずれば、明らかに功において勝っている。

しかしながら、一方で「格差社会」批判が激しくなり、今や「すべて小泉が悪い」という安易な論が横行している。経済学においては、最低賃金は重視すべきものだが、自由経済のもとでは格差自体を大きな問題としてはこなかったはずである。
そういう意味で「セイフティネット不足」は問題だが、やがて解消される(はずの)格差問題で攻められる、という今の構図は、小泉-竹中コンビにとっては予想外の事態であろう。
これは「改革の副作用」とみるのか、あるいは「改革の不徹底」と見るのかで論点はまるきり違ってくるだろうと思う。

とはいえ、現在の麻生政権を見ると、小泉登場以前の「公共事業ばらまき型政治」に戻りつつあるような気もする。この点は、今後の自民党政策の大きな分岐点となるだろう。私としては、危惧するところである。

なお、後継者は子息(次男)だそうである。今の政治家は個人商店であるから、家業を継ぐのと同じ後継の仕方をするものだな、と思った。
民主党の小沢代表も鳩山幹事長世襲議員なのだが、小泉氏の世襲批判をする人物が、同じ論理で小沢氏や鳩山氏を批判する論をなかなかみることができない。
そういう意味で、実は「反小泉論者」も、いまだ小泉氏に呪縛されたまま、なのである。
死せる孔明は行ける仲達を走らせたが、小泉氏も、いまだに既得権益論者を走らせているのだ。

やはり不世出の大政治家であると思うよりほかない。

小泉氏は「燃え尽きた」と語ったそうである。そうだろうな、と思う。

まずは、ゆっくりとお休みいただきたいと、心から思う次第である。ほんとうにお疲れ様でした。