Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

非属の才能

「非属の才能」山田玲司

著者は漫画家で、映画化された「ゼブラーマン」だとか捻くれた文学的薫りのする「絶望に効く薬」などの作品を発表している。
その著者が、一言でいえば「人と違うことをしろ。空気なんて読むな」という説教をしている本である(笑)。

安倍政権時代に、首相に対する批判として「空気読めない」略してKYという言葉が流行った。
私は、非常にイヤな気持ちがしたものだ。
学生時代から(そして今も)私はKYである。人の気持ちがわからない。よって、女性にもモテナイのである。
すなわち、KYな人というのは、この競争社会なかんづく恋愛至上主義社会において「敗者」としてのマイナスを力一杯受けているのである。
そういう人にむかって「KY」だと罵る。ああ、人間の優しさなぞというものは、いったいどこに消えたのか(泣)

そんな考え方をしている私であるから「人と違うことをしろ」という主張には、おおいに頷ける、、、はずであった。
とりあえず、資本主義社会が成熟に向かっている以上、美味しい話には皆が群がるわけで、美味しい話はあっという間に熾烈な競争の世界に陥ってしまう。
よくある笑い話で「必ず儲かる投資ノウハウがある顧問」がいたら、そりゃ顧問なんかやらずに自分でこっそり儲けたほうがいいわけでしょうが(苦笑)
だから、そういう競争になってしまうところはスッパリ諦めて、小さくても良いから自分独自の世界で勝負したほうが良いよ、ということを著者は言っている。
で、ここまでは大いに賛同したい。

しかし、である。
逆かならずしも真ならず。早い話が「成功者は、人と違うことをしている」のが真実だとしても、じゃあ「人と違うことをすれば成功する」とは言えないわけで。
本書に取り上げられた成功者の影には、誰にも認められずに夢破れた失敗者が死屍累々のはず、なんである。
まあ、本ですからね。無数の失敗者の話をしても仕方がないわけである。
だから、本書を読むときには、そのあたりは割引しなきゃ仕方がないのだ。

評価は無☆。少なくとも、著者のかいた漫画ほど面白くはない。漫画家は、やはり漫画がいいですね。

人と違う才能がない凡人が、たまたま「俺は他人とは違う」と勘違いをしてしまう。
悲劇なのは、資本主義的にいえば、人間の行為は「生産」と「消費」に分かれるわけである。
素晴らしい「消費」の才能があるとして(たとえば、映画を語らせたら天下一品)しかし「生産」の才能があるとは限らない。(映画監督や俳優などの制作側の才能はない、ということ)
この場合、全人格的には「非凡な才能がある」と人は思うはずである。ただ、その才能は、残念ながら職業には向いていない。
「他人と変わった才能がある」人はそれなりに居ると思うが、その才能が「生産に向いている」例は少数である。
好きとカネがとれるのは違うのである。プロになるには、また別の要素が必要なのだ、と思う。

努力する才能もある。大いにある。努力なくして、才能は実らない。
しかし「俺には才能がない」と見切るのも才能である。なぜならば、別に「実になる」方向へ努力を振り向けることができるからだ。
成功するには、努力の量とともに、その方向性が間違っていないことが必要であると思われる。
その判断は、たいへん難しく、実際には不可能である。よって、成功者は「たまたま努力の方向が合っていた」人に限られる。
なんのことはない、運が左右している部分が根底にあるわけだ。
嘘だと思ったら、成功者をご覧なさい。個人的にはサイテーの奴だって、運さえよけりゃ成功するんである。
それをいっちゃあ身も蓋もないが、事実そうである。
逆に、成功者だからといって、むやみやたらに尊敬してはならない、ということなのである。

成功しても、しなくても、人間としての価値は変わらない。その人の価値は、その人だけのものである。
失敗した人のなかに、人間的に素晴らしい人は、いくらでもいる。
成功だの失敗だのに拘泥せず、なすべきことをきちんとできる人が、真に尊敬に値する人なのである。
人と同じか、違っているか、そんなことはどうでもいいと思うのだなあ。