Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

問題じゃないのが問題

尖閣の件だが、これは何も問題はない。
日本の領土を日本が支配していて、外国の船が勝手に領海で漁業をした、あげくに巡視船に激突。外国船の船長は逮捕された。どこに問題があるのだろう?

問題は、中共と台湾が、それぞれ、尖閣の領有権を主張していることである。
彼らが領有権の主張をはじめたのが、尖閣周辺に海底油田が見つかった1971年からである。つまり、油田が欲しいので、文句を付けて、本来は問題がないところを問題にしようとしているわけである。
日本は平和国家だから、もしも「問題だ」となれば「話し合いで解決」となり「日本譲歩で決着」=「平和で良かったね」で済む。
都合が悪くなれば、また「日中戦争15年」を持ち出せば良いのである。こんな簡単で、おいしい話はないと、私が支那の政治家であれば考える。やらなきゃ怠け者である。

で、台湾は放置で良いとして(日本の外交は国連中心主義で、国連に加盟できない台湾と議論する必要もないだろう)支那はどう考え得るか?
これも簡単なことで、支那は「日本なんか眼中にない」のである。彼らは、米国を相手として考え、米国の出方を探っているのだ。

世に「下請け企業」というものがある。この「下請け企業」は、親会社にアタマがあがらない。たとえば、親会社の部長さんが、今夜お前の娘を俺のところに差し出せと言ったら、その通りにするしかない(下手なドラマみたいですな)。
なんで、下請け企業がそんなに弱いかというと、自分で仕事をとってくる営業力がないからである。生産設備はあれども、営業力がない「半人前」だから、かくのごとき屈辱となる。
娘を差し出す前に、自力で営業開拓をしなけりゃならんのだ、社長さんは。

日本の防衛も下請け企業と同じで、親会社の米国なけりゃあやっていけぬ。娘が沖縄である。娘をやりたくなれば、自力でやるほかない。

じゃあ、下請け企業は、なんで自力で営業開拓しないのか?
簡単である。下請けで、営業コストをかけないことで利益を出しているから、自力で営業をしたらコスト回収できず、仕事も確保できず、規模縮小の上に倒産に至るからである。
日本の防衛も同じである。日本は、GDPの割には防衛費をかけなくて済んでいる。1%は世界で少ないほうである。それは、親会社の米国がいるので、自衛隊は米国の下請けだからである。
防衛費は、再投資されない政府支出なので、防衛費の割合が高いほど国力は損耗する。
戦前の大日本帝国をみよ。国費を傾けて国防をやり、国民生活は貧しく、結果、米国との格差は開く一方であった。なのに「自主独立営業」をやり、満州などに支店を開設したところで、ついに大企業から潰されたわけである。
それ故、戦後は諦めて、さっさと米国親会社の下請けをやることにした。下請けだろうが娘を差し出そうが、腹がふくれりゃそれで良いと考えたのであった。

支那は、ちゃんと竹島を見ている。強引に軍隊で占領して、「話し合いで解決」などという戯言(国際法廷など)は握りつぶし、居座って実行支配するだけでオシマイである。
それで韓国は成功している、とちゃんと見ている。日本に、何かできる度胸はない。ましてや、支那においておや。韓国よりも遙かに強大なのだから、議論に値しない。

ただ、問題はある。「親会社」米国が、口出しするかどうか、である。
その米国は、これまで何度も「尖閣は、日米安保の対象」と表明してきた。米国自身が沖縄とともに「返還」したということもあるが、米国の立場として「2国間の領土問題には口だししない、しかし、現実に武力衝突が起きれば日米安保の対象」ということで、主権とはいかなくても行政権を認めている。
だから、支那は手出しできなかった。これが、竹島と違うところである。

ところが、オバマ政権になって、これが揺らいでいる。辺野古移転の問題があって「じゃあ、尖閣についても微妙だよね」という話になったわけである。

支那には、先例がある。南沙諸島である。
フィリピンのクラーク基地は、国民世論の盛り上がりで退去させられた。反米主義者が大喜びで「ほら、フィリピンにもできたじゃないか」と舞い上がるゆえんである。
そうしたら、支那南沙諸島をさっさと「竹島モデル」しちゃったのだ。
フィリピンは親会社に泣きついたものの、親会社だって「いや、そう言われてもねえ。。。」とつれない返事でオシマイ。めでたく、支那の実行支配となっている。
一人前の口は、あとの段取りができたところでたたくべきで、それまでは隠忍自重するのが大人の判断ってもんではないか。まるで子どもなフィリピンの有様を笑うしかないのだが、日本の左翼知識人だって、都合の悪いことには耳を塞いでいるわけである。
ま、それも大人の知恵ということですか(苦笑)

支那は、今回の事件で、日本が何を言うかなんて気にしていない。そもそも眼中にない。相手でもない。
支那の相手は米国である。米国の反応だけを、注意深く見守っている。

それがわかるから、私は別にこの問題を論じようとは思わないのである。
日本は、残念であるが、尖閣を論じられるレベルにない。それ以前の憲法および防衛戦略の立案で止まっている。
言うまでもないが、これは国家として最低限のレベル以下である。属国というが、属「国」といえるかどうか、疑問である。

だから、日本にとっては「問題はない」というのである。
悲しいことであるが、尖閣ですら、日本の問題ではない。支那と米国間の問題に過ぎない。


我が国は、いったいなんなんだろうかねえ。