Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

中国台頭の終焉

「中国台頭の終焉」津神俊哉。

最近の支那経済は明らかに変調をきたしている。習近平政権は、国民に「これが普通だ」と納得してもらうのに懸命である。
とはいえ、今まで「イケイケドンドン」だった経済を急に「安定成長路線」に切り替えるのは容易ではない。
てっとり早いガス抜きが南シナ海問題である。
いつの世でも、誰の治世でも「内がやばいときは外に目をむけさせろ」鉄則ですからなあ。

著者は元経産官僚で、支那関連のコンサルタント業などを行っている。
自分の飯の種を「ボチボチまずくなってきました」というのは勇気がいる。そういう意味では良心の書であろう。

氏が本書を上梓したのは2012年である。そのとき、支那経済のスローダウンを予言したわけである。
昨今の情勢をみる限り、本書の予言はピタリと的中したといえる。
いつも的中しない予言を学説だといって垂れ流して学問づらをしている経済学とやらとは、大違いだと言えるな(苦笑)。

筆者が支那の課題としてあげたのは、主に以下の3点である。
1)リーマンショックのときになりふり構わず投下した4兆元の公共投資は、実際の成長には寄与しないものばかりである。今後、それらの投資の不良債権化、償却問題、主として地方政府の財政問題が深刻化するだろう。
2)中期的には、支那の人件費はあがり、農村からの人口流入が爆発的につづく時期(かつて盲流といった)も終わった。これからは、本格的に付加価値の高い産業をおこして、一人あたり生産性をあげない限り、成長の壁を越えられない。(いわゆる中進国の罠)しかし、今まで人件費のやすさに支えられて組み立て加工のような産業に偏って発展したので、高付加価値化製品を生み出せるのは、ごく一部のメーカーに限られてしまう。
3)長期的には、長年つづいた一人っ子政策のため、支那合計特殊出生率は1.18と日本よりも低く、急激な高齢化が突然やってくる。2020年から、支那の生産人口は減少を開始する。長期間、人口オーナスの影響で苦しむはずだ。

そして、結論として、中国はこれから5%成長を続けるのがやっとの状態であり、巷間言われているような2050年には米国を追い抜くのは不可能で、永遠に米国を抜く日は来ないという。


評価は☆☆☆である。
かつて「老いてゆくアジア」という書を読んで衝撃を受けたが、そのときのことを思い出した。
今、日本も超高齢化に苦しんでおり、GDPがゼロ成長だとか、実質だと1%成長に近いとか、あまり明るい話がない。
しかしながら、「一人あたり生産性」に限って言えば、日本は右肩上がりが続いているのである。
労働者の人口が減る以上、それをカバーするだけ稼がないと、国家のGDPがマイナスになってしまう。
そういう意味では、日本人は今でも勤勉で、ただ政府がかつての景気の良かった時代を忘れられずにバラマキを続けているのが問題だろう。
そして、その日本に続いて苦しむのは支那と朝鮮である。どちらも、少子化が深刻だ。
韓国は、ヒュンダイサムスンも今は業績悪化で苦しんでいる。リストラされた日本人技術者をやとって技術をパクるのも限界になってきた。そもそも、本家本元の日本の技術自体が停滞しているから仕方がない。

同じことは支那にも言える。
困った支那は、結局、不動産価格を釣り上げるしか方法がない。なので、そのとおりにしている。GDPのかなりの部分が不動産投資頼み。
かつて、どこかで見た風景であり、そのうち弾けるしかないわけだが、これだけ引っ張っていると、弾けたあとの処理も大変になるはずだ。


つい昨日、フィリピンのドゥテルテ大統領支那に訪問し「米国とは決別だ、何も良いことがなかった」と言い放った。
この大統領はぶっとんだ人物で、フィリピン国内では麻薬密売者をみつけ次第射殺することで非難を受けている。
しかし、国内的には拍手喝采だ。
昨日の発言も、国内的にはまた拍手喝采する人が多いのかもしれない。
しかし、そもそも南シナ海問題が起きたのは、フィリピン国会が調子こいて駐留米軍の撤退を決めた直後だ。
「トラがいなくなった」ので、大安心して支那は海洋侵略をはじめたわけである。
その南シナ海問題は「棚上げ」にするという。
それ自体は外交的知恵といえるが、しかし、この国内人気取りしか見ない大統領の指導のもと、南シナ海どころか、フィリピン全土がいつの間にか中共支配下、という可能性は大いにある。
米国は、かつてのようにスーパーパワーはないかもしれないが、支那が抜けないとなれば、当面の間はそれでも世界一だ。侮るのは大間違いである。
ちまたでは「米国悲観論」が跋扈しているようだが、本書にも指摘があるとおり、米国は先進国で唯一の人口減少がない国家なのである。

未来予知をするとき、他のものは色々はずれるが、ほぼ確実に的中するのは人口予測だ。
もっともアテになる要素を無視して、都合のよい未来を考えるのは、ただの夢想家である。

ようは、とにかく、「次」がありそうなところにつく。綺麗事ならべても、負けは負け。それじゃあ何もなりません。
関が原の昔から、原理原則は同じだろうと思うのですがなあ。