Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

社交ダンスが終わった夜に

「社交ダンスが終わった夜に」レイ・ブラッドベリ

ブラッドベリといえば「火星年代記」や「華氏451」などの名作でおなじみの大家である。
老大家といえば、現役で仕事をするものでなく、ときどき雑誌にエッセイ(雑文)を書いてお茶を濁すのが一般的だ。
老大家にハードワークを課すのは、クラシック音楽業界だけである(笑)。

しかし、ブラッドベリは違うのだ。
齢80にして出版社を移り、新作を発表するという充実ぶりで、しかもその新作がまったく昔日に見劣りしない佳品揃いとくれば、こりゃすごいではないか。
日本の政治家は「50,60ハナタレ小僧」というそうであるが、今や日本人も人生80年時代。もはや「一億総50,60ハナタレ小僧」でなくてはならん。
還暦を超えた「新人作家」の登場を、楽しみに待ったって良いのではないか、と思う。

そのブラッドベリの「新作」が収められた短編集である。
いずれも、昔日のブラッドベリそのまま、深い叙情と哀歓が印象的な作品ばかりだ。

私が気に入ったのは「ドラゴン真夜中に踊る」である。
ちっぽけな映画制作会社がある。二人の男が、いわゆるB級の低予算映画を配給しているのだが、いかに低予算といえども映画制作だけでは食えない。
それで、小さな映画館を相手して、アジア映画の配給を行って糊口をしのいでいる。
そこに、一本の電話がかかる。「予定していたアジア映画のフィルムが事故で未達だ、なんでもいいから持ってきてくれ!」
そこで、臨機応変、とっさに「ドラゴン真夜中に踊る、という新作があります」
もちろん、そんな新作など存在しないので、彼らはあり合わせのフィルムをつなぎ、音楽とタイトルロールをくっつけて、映画館に持ち込む。
フィルムは出来上がっていないから40本以上をつないで上映することになる。
ところが、そこの映写技師は飲んだくれだった。さんざん酔っぱらった彼は、上映順など適当で、支離滅裂映画となってしまう。
さぞや観客の罵詈雑言を覚悟した彼らだったが、、、「ブラボー!!」
新作を見に来ていたうるさ型の評論家、マニア連中を唸らせる前衛的な作品になっていたのだった。
ここから、彼らの快進撃が始まり、ついには映画祭で大賞をとり、名声と巨額の富を手に入れる。
しかし、そこで映写技師は言う。「俺は断酒する。このままでは、死んでしまう」
映写技師が前衛的なつなぎが出来るのは、酔っている間だけなのだ。
残された二人は、なんとか作品配給を続けようとするが、映写技師の神業的な才能が望めるはずもない。
作品は失敗し、彼らは再び零落し、もとの零細映画会社に逆戻り。
しかし、その彼らは、今でもフィルムを乗せて小さな映画館に車をとばしながら思うのだ。
そこに、酔っぱらった神懸かり的な映写技師がいるのではないか。。。

一編だけご紹介したが、しかし、この短編集の中に「埋め草」はない。いずれ劣らぬ珠玉の作品揃いである。
これが、齢80にして紡ぎ出された老大家の作品である。
いかがであろう?若い作家で、このクオリティは望めないではないか。彼らが書けるのは、はかなく消えるうたかたの風俗遊びだけである。
若いから、風俗が分かるというだけの話だ。村上龍は偉かったが、村上龍もどきは、ねぇ。。。

評価は☆☆。
短編集としては、最上の部類に入ると思う。

ところで、我が国の財政破たんは誰の目にも明らかな事態となりつつ有るわけだが、その根本に生産人口比率の低下がある。
高齢化が進む一方、少子化で子どもは少なく、生産者人口の比率は下がる一方。
あげくに「外国人労働者を入れよう、それが国際化だ」という。
しかし、外国人労働者を大量に受け入れた国では、明らかに人種間の摩擦や格差問題、治安問題などが出てきて、社会コストが上がるのである。
収入を増やそうとして、かえってコストが増えることになりはしないか。
そこで、もっと簡単な解決策がある。
定年を、65歳から70歳に引き上げればいいのである。
どうせ、定年後の悠々自適などといったところで、家庭内で濡れ落ち葉扱いされるのが関の山じゃないか。いっそ、働け。
そうすれば、一挙に問題は解決ではないか。

繰り返すが、齢80にしてこの健筆なのである。人間、やれば出来るのではないか、と思うのですがなあ。