Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

明日なき報酬

「明日なき報酬」ブラッド・スミス。

主人公は元ヘビー級ボクサーのトミー・コクラン。もう3年も試合をしていない。
金を使い果たし、相棒のTボーン(黒○)と一緒に、故郷の農場に帰ってきた。
すると、妹の旦那が、農場を売却しようとしていることを知る。
コクランは、「この農場は、半分は俺のものだ」と主張する。
すると、妹の旦那は、それならば起源までに5000ドルをもってこない、できなければ1万ドルで農場をうって、金を半分に分ける、と答える。
コクランは、金をつくるために、トロントに出て行く。

昔のトロントは、マフィアが仕切り、賭博と酒の町である。
そこでコクランは、若いギャンブラー、ベルと仲良くなる。
ベルは、ポーカーで元手をつくり、有り金を競馬につっこむことを提案する。
ベルの読みは的中し、うまくいったかに見えたが、最後の写真判定の結果、コクランの馬は敗れる。
コクランは、無一文に転落した。

コクランは、まだランキングを持っている。
地元のプロモーターのブラディは、これから売り出そうとしている若い選手とコクランを戦わせようとする。
勝てば、ランキングが手に入り、チャンピオンに挑戦できるからだ。
しかし、コクランは、実は脳に動脈瘤の持病があり、いつ爆発するかわからない。
試合ができないコクランの代わりにTボーンは、毎日若手のスパーリング相手を務めて、15ドルをもらう。
殴られつづけて、文句を言わないTボーン。しかし、その金も競馬で泡と消える。

コクランの昔の恋人は、彼のために、ポルノ映画に出演して5000ドルを得ようとする。
その金は、実はベルが、コクランのために大勝負をして手に入れた金だった。
ベルは、ポルノ映画の一味に強盗に合い、撃たれて死ぬ。
息をひきとる間際に、Tボーンに後事を託す。
Tボーンは、猟銃を買って、ポルノ監督のいる現場に踏み込み、コクランの恋人を救出する。
5000ドルを渡し、コクランに「農場へ行け」という。
自分は、殺人犯になったから、一緒にいけない。いつか、長い時間がたったとき、一人の老人が現れるだろうが、その老人を頼むという。
コクランは、必ず来い、と答える。。。

ミステリではなくて、仲間達の自己犠牲と友情の物語である。
うっかり読むと、泣けてしまうので、涙腺の弱い人にすすめたくない。
評価は☆☆。
もちろん、すばらしい小説である。
浪花節ほど面白いものはないんだよね。

こういう小説がなぜ成り立つかというと、現実には、ここまで美しい友情はないからである、と言える。
その理由は、皆が豊かでありたいからである。

この小説の男達は、皆、無一文である。そこから脱出したいという、単純だが涙の出るような思いがあるだろう。
少し意地悪な見方をすると、皆、失うものがない。そこに究極の友情が成立する説得力がある。

現実には、皆、自分の生活があり、家族がある。
友情のために、それらを捨てられるか?ということになる。
難しいだろうし、友人のために家族を捨てた男が美談になるかどうかも、きわめて疑問である。
現実は、皆、それぞれの荷物を背負っていかなければならないのである。それは義務でもある。

優秀な作家の作品でも、いわゆる「若書き」の作品は、やっぱり今ひとつなものである。
それは、そういうくさぐさな苦しみ、背負うべき苦しみを経ていないから、苦悩はしょせん絵に描いた苦悩だからである。
若き青年の悩みは純粋で美しいが、しかし、それが人の心を打つようには昇華することは少ない。

「なんとかして、人並みな生活を送りたい」という涙のでるような苦しみが、人生の苦しみである。
それを書かない小説、書けない作家は死馬だと思う。
例外は、若い人向け、いわゆるジュブナイルやジュニア小説だろう。

私は賭博を好まない。だって、自分の生き方が、そのもの賭博なので(苦笑)それ以上の賭博はかんべん、だからである。
ただ、賭博をしたい人の気持ちはわかる。

孔子はいった。
「子曰わく、飽くまで食らいて日を終え、心を用うる所無し、難いかな。
博奕なるものあらずや。これを為すはなお已むにまされり。 」