Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

誰にも知られずに大経済オンチが治る

「誰にも知られずに大経済オンチが治る」三輪芳朗。

私は基本的にタタキ上げのベンチャー企業育ちであるから、学問的な経済学には疎い。
個人的な過去の経験は、学問的に考えるとわずか1つのデータに過ぎないわけだから、それをもって経済学を語るなんで恐ろしいことはできない。
であるので、なんとか「経済オンチ」を克服したいものだと思っている。
なんだかんだといっても、世の人の動きを大部分において決めているのは経済だろうと思うからである。

で、本書である。
いわゆる「近代経済学」「新古典派」あるいは、やや悪意を込めて「市場原理主義」である。
著者は、まず冒頭で「世界において、経済学とは本書の内容のことである」と喝破した上で(マル経は実験が失敗して死んだから)この「市場原理主義」についてこういう。
「物体は、重力によって落下する。じゃあ、すべての物体は重力によって落下すると述べたら、重力原理主義と呼ぶのか?」
つまりは、市場原理とは、人々の行動の自然現象を観察結果にすぎないわけで(人は、誰でも自分がトクになるほうに動くのであり、そのトクには、当然「好き嫌い」も含まれる)そのことによって「うまい儲け話」はなくなる、ということである。
うまい儲け話が本当にあれば、皆が殺到するので、うまい儲け話でなくなってしまうのである。
「うまい儲け話がありますよ」と言ってきた人には「そんなにうまい話なら、黙ってお前がやればいいじゃん」というのが返し方の一つであるが、それはこの市場原理に基づいたものである。
このあたりについて、異論がある人はあるまい。
また、政府がすべて市場を支配することも不可能である。
本書では、分かりやすい例として「水着」を上げる。
仮に、政府が水着を生産するとして、来年度の水着の流行や必要数量を正しく把握することは、たぶん不可能である。
結果、在庫の山を築く。
仕方がないので、権力をもって、スポーツ大会や学校で強制的に「政府水着」の着用をさせることにする。
そうした結果、しぶしぶ水着は売れるわけだが、大ヒットするわけない。
さらに問題は、政府水着を強制された人々は、自由に水着を選んで購入した場合に比べて「より幸福になったか?」という点である。
答えは明快である。

まあ、そんな感じで、「神のみえざる手」の働きについて、分かりやすく解説した本である。
評価は☆。

内容が、基本的すぎる、という意味ではない。
スレッカラシの市場原理主義者でも、「なるほどなー」という箇所はいくつもあって、面白いと思う。
ただ、「本書が経済学である」と何度も力説していることについては笑ってしまう。

だって、市場原理だからである。
つまり、ある学説が(つまり、新古典派が)正しければ、世の中の現象を正しく理解することができて、すなわち有用であり、これを採用する人は増えるであろう。
間違った想像に基づいた経済学は、当然間違った見通しによって現実と乖離するから、有用でなくなり、廃れるであろう。
つまり、市場原理主義者は「市場原理こそ正しい学説である」と言わなくても、市場原理によって異説は淘汰されると信じているはずだ、と思うのである。
もっとも、本書の出版も、ビジネスとして考えれば、広告活動の一環として理解できなくはないけれども。

私は、基本的に市場原理主義者なので(苦笑)市場原理によって市場原理主義が多くの人々に支持されるようになるだろうと、簡単に考えているのだけれども。