Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

愚行をする自由

橋下大阪市長の発言が波紋を呼んで、ついに外国人記者相手に異例の2時間半におよぶ会見となった。
今朝のテレビを見ていたら「橋下は謝罪、しかし自説を撤回せず」各国は非難する、といった調子。
しかし、私はそれでいいんじゃないの?と思う。

私の周囲の友人知人たちと、この件を話すと、だいたい皆の意見は一致している。
「橋下の言うことは、基本的に正しい」
「しかし、今、党首の立場でそれを言うことは、不利益だけでメリットがない。政治センスの問題で橋下党首はダメ」
というものである。

私も、基本的な評価として、まったくその通りである。
ただ、橋下市長の「愚行」については、愚行だけれども、別に問題でないと考えている。

まず、彼は野党の党首であるが、それも野党第一党でない。第二党である。
そして、彼自身は、大阪市長という地方の首長にすぎず、国会議員ですらない。

もちろん、政治家が国益を念頭に置いて言動しなければならないことは確かであるが、それを、かくのごとき、大して重責のあるポストでない(申し訳ないが、小物ということ)人物に要求してみても仕方がない。

この数年を考えて欲しい。
もはや「ジャパンバッシング」ではなく「ジャパンパッシング」日本なんて素通りさ、というくらいに、国際的な地位が低下した我が国であった。GDPも、今や中共以下であり、少子高齢化と財政の悪化によって、これから国力の一層の低下を避けられぬ「沈みゆく国」である。
その我が国の一首長の発言に、いちいち大騒ぎするほうがおかしいではないか。

たとえば、我々がロシアの極右党首ジリノフスキーの言動のいちいちに、そんなに反応するだろうか。
シベリア抑留は日本鬼へのこらしめだ、いい気味だと言われたら腹も立つが、しょせん米国大統領の発言ではないのである。
そんなもの、真に受けて抗議するだけの価値もない。まあ、中にはいるだろうな、程度の話ではないか。

申し訳ないが、橋下党首の国際的な地位を鑑みるに、ジリノフスキー以下だろう。
彼が、少々国際センスに欠ける発言をしたところで、弁護士あがりの地方の一市長ではないか。
彼の歴史観が、国際的に考えてニュースになるほどの重要人物であろうか?
冷静に考えてみよ。答えは、明らかであるはずだ。

人は、その地位の重さに従って、慎重に行動すべきであるが、橋下市長に、国際的に慎重さが求められるだけの重みがあるとは、自分には到底思われない。
たとえていえば、支那福建省の副省長以下の地位ではないのか。
私は、その人が日本について、何をどのように発言しているか全く知らないし、内容を知るべきであるとも思わない。その程度の重要度である。

この程度のことで、いちいち失言を恐れていたら、何も言えなくなることは明白である。
橋下市長は、安倍総理とは立場が違うのである。
野党の党首の一地方市長なので、日本国の代表でもなんでもない。
あらけずりであろうが、それでも、自分の信条を述べればよい。
「立場が云々」ばかなことだ。
それほど偉い立場であるもんか。

日本国が価値としている「自由」とは、そもそも何か?
いいかね、「良いこと」「その時々の社会で是とされること」を発意したり発信したりするのに、そもそも「自由」が必要であろうか?誰からも、何の非難も受けないのに?
そう、そのとおり。「良いこと」「妥当な発言」に、自由は必要ない。
我々が普遍的価値として重んじている自由は、そうでない場合に、すなわち「愚行」をしようとするときにこそ、必要なものなのである。

最後に、あえて指摘しておく。
どうしてこんなに大騒ぎになったのか?
「野党第二党の、一地方首長の発言」を、とにかく大きくせねばならない人たちがいたからであろう。
その人たちにとって、そうすることが利益になるからである。

私は、橋下氏の愚行なんかより、そちらの利益になる人々のほうに、よほど気をつけねばならぬだろうと考えている。