Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

零式戦闘機

「零式戦闘機」吉村昭

何やら設計者の堀越次郎がアニメになって有名になっているようであるが、帰省した時に再読。
かのゼロ戦の衝撃的な誕生から落日までを、丹念に追った小説である。

もともと十二試艦上戦闘機と呼ばれた本機は、三菱の堀越次郎の設計により皇紀二六○○年に正式採用。
あまりの要求の厳しさに、競合の中嶋飛行機は試作を下りてしまったため、三菱の単独開発であった。
我が国の戦闘機として初の二十ミリ機銃を装備し、艦上機として初の引込脚、落下式増槽を持って航続距離3000キロ以上を誇った。
それゆえ、大型の陸上攻撃機の護衛が可能になった。

本書では、その零戦が、名古屋工場から各務原飛行場まで、なんと牛車で24時間かけて運ばれていた、という記述からはじまる。
当時、工場に隣接する飛行場がなかったのである。
また、舗装された専用道路さえなかった。トラック輸送すれば、揺れた機体は必ず傷がついた。
したがって、牛車で運ぶのが一番、ということになってしまったのだ。

戦局が進むと、この輸送法を見た軍上層は驚き、なんとか別の手段を講じる。
それは、馬の使用であった。ペルシュロン馬と呼ばれる逞しい馬は、牛で24時間かかったところ、12時間で運んでみせ、大いに工場を喜ばせる。
しかし、戦時の増産体制に馬が追いつかず、統制価格を超えた高値で馬を買いあさっていたところ、運搬会社は起訴されてしまう。
法廷では、非常時における愛国心からやむなく、と軍がつけた強力弁護団が主張するも有罪となった。(我が国の司法は、愛国的であれば何でも無罪になるような土人国家ではなかったのである)
結局、馬の調達は難しくなり、戦局の悪化で酷使の一方で飼料も減り、バタバタと馬は倒れていく。
最後に、終戦の日に、生き残った数少ない馬を、配達社員に分けてやるところで、物語は終わる。

評価は☆☆。
再読に耐える、素晴らしい小説である。

当時の日本は、最新鋭戦闘機を牛車で運ぶ国であった。
ついでにいえば、オクタン価100のガソリンも作れない。オクタン価92が限度である。水素添加技術が未完成な上に、装置の維持に使うレアメタルモリブデン)もなかった。
よって、航空エンジンで、そのまま10%の馬力減、スピード減になるのである。
戦後、米軍が疾風をとばしたら速かったとか、紫電改グラマンもシコルスキーも引き離したなどというのも、みんな米軍供給のオクタン価100燃料で調整したからであった。

特攻隊が出現したせいで、旧日本軍の人命軽視が言われ、まったく防弾のない零戦がその代表のように言われることがある。
しかしながら、いちがいにそうはいえない。
本書を読むとわかるが、そもそも零戦の開発動機は、渡洋爆撃する攻撃機の護衛であった。
日本は支那事変(日支お互いに宣戦布告せず、単なる武力衝突で戦争ではないと主張、中華民国が宣戦布告したのは英米が宣戦布告した1941年)で遥か支那大陸まで爆撃にいくが、護衛を伴わない裸であるので、中華民国の戦闘機(米ソが供与)に迎撃されて被害をこうむる。
これをなんとか食い止めようというので、長躯随伴できる足の長い戦闘機が求められた。
零戦の要求仕様には「護衛、制空」とある。順番としては、まず脆弱な爆撃機の護衛であった。人命軽視の軍には似合わない。

この航続距離の要求を満たすために、零戦は極限まで軽く作られた。
さらなる事情として、日本にそもそも大馬力の発動機(エンジン)がなかった。
1000馬力エンジンで、早く、長距離を飛ぶとなれば、防弾をあきらめるよりほかにない。

実際に、陸軍の「隼」は防弾板を付けたが、そのぶん、航続距離は低下し、さらに小馬力エンジンのため防弾版も重いものは無理で、7.7ミリ機銃防護用であった。
米軍機の12.7ミリ機銃には無力であった。
当時の日本の基礎的工業力を考えると、敵の機銃に耐えることは難しく、むしろ機銃弾を食らわないように身軽にするしか方法がなかった。
「ないないづくし」が、そういう選択しかさせなかったのだ。

あの戦争は、つまるところ貧乏がさせたものである。
今、問題の従軍慰安婦も、朝鮮人(当時は日本人だったが)だけでなく日本人もたくさんいた。
皆、東北から身売りされた娘だった。
どうして、あの5.15事件が起こったのか?その青年将校の多くが東北出身だったことを知らねば、彼らの決起の意味がわからないであろう。
だから、戦後の人は、一部の血気さかんな若者が極右テロをしたんだ、という理解をする。
北一輝が言った「維新のやり直し」の意味がわからないであろうと思う。

腹が減って、今にも死にそうな男がいる。
そこにパン屋がある。うまそうなパンが並んでいる。
男は貧乏であるから、パンを買うことはできない。
しかし、盗んで食うことはできる。
もちろん、盗みは犯罪である。
男は、手を伸ばし、パンを食った。男が「犯罪者」になった瞬間であった。