Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ベルリン飛行指令

「ベルリン飛行指令」佐々木譲

年末年始の暇つぶしに読書。いや、ほんとはヒマになぞ、してはいけないのだ。
少年老い易く学成り難し。こういう時こそ、日ごろできない学問にはげむべきである、、、のだが、何しろ、暇があればイッパイやってしまう。酔眼で読めるのは、支那の古典詩集くらいのもんであろう。
一杯一杯また一杯。
そんな状態で、小難しい本なんか読めない。
で、以前に読んで面白かった「エトロフ発緊急電」の著者の文庫を古本屋で入手し、読むふけることにする。

ストーリーは、本田技研の某役員の「ゼロ戦が、ベルリンに飛んだ」という回顧話から始まる。
そんなわけないじゃないか、と思いつつ、調査を進めていくと「確かに見た」という英国人やら、独逸人が現れ、古ぼけた写真まで出てきた。
さらに調査を進めると、そこには思いがけない真相があった。
つまり、ゼロ戦は、日本の大東亜戦争開始直前、1941年に確かにベルリンに飛行していた。
ヒトラーは、バトルオブブリテンで、大英帝国スピットファイアに煮え湯を飲まされ、アタマに来ていた。
何しろ、メッサーシュミットBf-109の航続力では、ロンドン上空にたどり着いて10分で引き返さなければならない。
それでは爆撃機の護衛は不可能なので、やられっぱなしになってしまう。
ところが、そこに、なんと日本の最新鋭戦闘機が完成しており、その航続力は2600KMに及ぶ、という情報が入ってきた。
当時のBf-109の航続力は680KM程度だから、まさに常識はずれの大航続力ということになる。
ヒトラーは、この戦闘機「零戦」のライセンス生産を検討することにし、そのためのサンプルとして2機の零戦の売却交渉を日本と行う。
日本は、三国同盟を締結したばかりであり、独逸の保有する最新技術が欲しかった。
そこで、この申し出を受けて、ヒトラーに貸しをつくることにした。
しかも、この戦闘機は潜水艦輸送でなく「空輸」で送ることになっている。
操縦稈を握るのは安藤大尉である。
ルートは、ロシアルート、中央アジアルート、インドルートが考えられた。
このうち、ロシアルートは独ソ戦をもくろむナチスによって拒否される。
中央アジアルートは、まったく途中で補給ができない。
インドルートは、日本から台湾、ハノイインドシナ半島を飛び越えてビルマ、インド、イラクを超えて同盟国イタリアまで至るというもので、もっとも実現性が高いとされた。
日本は、インドの独立派に働きかけて、飛行場を借りて補給を行うことにして、この大飛行を敢行する。
さて、2機の零戦は、果たして無事にベルリンまでたどり着けるか?、、、という話である。

ホントか嘘かわからない法螺をもっともらしく描くというのは、小説の神髄である。
素晴らしい作品である。☆☆である。

日本の国語の授業では、とんでもない間違いをやっている、と指摘したのは、故星新一である。
日本の先生は、作文というと
「見たことを、ありのままに」書けという。自然主義文学の尻尾がいまだにあるのだろうか?
一方、外国の先生は
「面白い話を書け」
という。
どちらが良いだろうか?
考えてみてもらいたいが、世界の名作と呼ばれている文学は、すべて嘘を描いている。ドキュメンタリーではない。
罪と罰」だろうと「戦争と平和」だろうと「車輪の下」だろうと、みんな「作り話」であるから嘘である。
嘘だからダメだという話はない。
むしろ、いかに上手に嘘を書くかが文学のポイントである。
しかるに、日本の先生は「嘘を書くな」という。
これで、文学を書いたり、鑑賞したりする人が育つものであろうか?云々。

まさに、そのとおりではないか。
「見てきたような嘘」という。これこそ、文学のはじまりだ。
本書は、その「見てきたような嘘」そのもの、である。
こんな面白い本はないと思うのである。

ちなみに、航空戦の専門家であっても、「もしも、独逸に零戦があったら」と考える人はいる。
大航続力で、ロンドンどころか、大英帝国本土のどこでも爆撃機を護衛してゆけるからである。
周知のように、零戦は防御力と急降下速度に問題があり、大戦後半では大被害を出した。
しかし、バトルオブブリテンの時代なら、まだまだ英国の航空機は大したことがない。
スピットファイアも旧型で、高空性能も出ないのである。
格闘戦なら相手にならないことは、多くの日本人パイロットがビルマ戦線でも証言している。「全然怖くない」ということである。

ただし、バトルオブブリテンでドイツが勝利したら、もっと良い世の中になっていたかどうかは別の話である。
しょせん毛唐同士の戦いの話であるからねえ。

もっともらしくいえば「歴史にifは禁物」なのであるが、まあ、固いこと言わないで、楽しみましょう。