Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

薄桜記


1965年の小説だから、こちとら、まだ字も読めない頃の作品だ。どうもNHKでドラマ化されたらしいが、それも見たことはない。基本的に、テレビを見ないのである。主義でなく、単に、面白いと思わない。
それで、小説を読む。ささやかな娯楽である。

舞台は元禄で、忠臣蔵がモチーフになっている。
主人公は丹下典膳と、堀部安兵衛ダブルキャスト(と読むのが正しいと思う)。

丹下は、妻の不貞を見てみぬふりをするのだが、しかし、武士の倫理として、不貞を働いた妻を手もとに置くのは許されない。
当時の婚姻は、武家社会の掟そのものだから、不貞は武士の面目だけでなく、家に対する不忠であり、その妻をそのままにしておくのも不忠なのである。
正しい武士の処仕方は、間男ともども、妻も斬ることである。
しかし、妻を愛していた典膳には、それが出来ない。それで、キツネの仕業ということにして、キツネを切り捨て、世間が落ち着いた頃に妻を離縁した。
離縁された妻の兄が憤り、典膳の片腕を切り落としてしまう。うーむ、これは丹下左膳そのものであるな。
その典膳だが、隻腕となっても、やはり剣の腕は一流の名声はそのまま。(これも不思議な話である。そこは小説だから)

一方、高田馬場の決闘で名を上げた中山安兵衛は、赤穂藩頑固一徹の古武士、堀部弥兵衛に乞われて、堀部安兵衛となる。
実は、丹下典膳の元妻の実家が上杉家の家老、千坂兵部の親戚だった。安兵衛は、元妻にいったん懸想するのだが、堀部弥兵衛の男気にうたれて、堀部家の婿入りを決める、という話になっている。
その千坂兵部は、赤穂浪士の討ち入りを予測し、付き人として典膳を吉良のもとに送り込む。
実は、当時の上杉家の当主、綱憲は吉良の子供であり、上杉家の末期養子として迎えられたものであった。(領地は半減となる。史実)

かくて、堀部安兵衛と丹下典膳は、討ち入り前日に、決闘をすることになる。
討ち入りの障害となるであろう典膳を、事前に斬っておきたい安兵衛と、どんな状況であろうと武士であろうとする典膳。
典膳は、たちまちのうちに赤穂勢を3人ばかり斬り捨てる。その筆頭が毛利小平太であって、つまり当日の脱落者は、実は前日に典膳に斬られていたので、参加できるはずもなかった、というわけである。
典膳と安兵衛が対決、あーっという展開で、ばったり倒れたのが典膳。
かくて、大石内蔵助以下、堀部安兵衛を筆頭に、見事討ち入りし、武士の面目を見せつけた。
四十七士は、実は切腹の作法も知らなかったが、そんな元禄の時代だからこそ、彼らの武士道は輝いたわけである。
結局、登場人物はみな死んでしまい、最後に元妻がぽつねんと佇んでいる、、、という光景で終る。


やっぱり五味の小説としかいいようがないなあ。
評価は☆。
髷物としては、相当に面白いんではなかろうか。

五味という作家は、「喪神」で芥川賞を受賞したものの、鳴かず飛ばず。書けなかったのである。売文したくなかったとのちに語っている。
鬱屈があった。賞は受賞したけれど、、、という典型的なダメ作家だった。

赤貧洗うがごとき貧困の中で、生活を支えてたのは賭け麻雀である。
のちに「五味麻雀必勝法」で明かしたのだが、つまり「イカサマ」がその秘密であった。
そんな生活の中で、西洋音楽に傾倒し、ついに「音楽を聴くために」売文作家になることを受け入れる。
彼が、その中で選んだのは「髷物」であった。チャンバラ小説として一世を風靡したのである。

本書を読むと、ストーリーと関係のない著者の薀蓄や与太話が頻出する。
だから「ダメな作品」だと、見る向きもある。
ダメで結構だと五味は言うだろう。
もともと、ちゃんとしたチャンバラ小説なんざ、あってたまるか。
しょせんは売文だ、司馬遼太郎だって売文だ、山本周五郎だって売文だ、しょせんは大衆小説ではないか。チャンバラ小説を「真剣に」」やってどうするのだ、まさにチャンチャラおかしいじゃないか。
だから、そういう脱線は、すべてこの作者の衒いである。
では、読者はどうするべきか?
「ははあ、またやってやがるな」と思って、ニヤリと笑えばよいのである。
そういう作家なのだ、五味康祐は。

この人のオーディオに関する随筆は上手い。まさに随一である。
しかし、やはりチャンバラ小説なのだ。
スピーカーが剣豪のごとく現れて、バッタバッタと斬りあうのである。
タンノイは、実は柳生連也斎なのだ。

わかんねえだろうなあ(苦笑)。