Single40'S diary

「40過ぎて独身で」の作者が、あっというまに50代を迎えたブログ

リンカーン弁護士 判決破棄


さあて。暑い夏を過ごすには、コナリーに限る。。。
といってみたところで、実は冬なら冬でコナリーがアツいのだし、秋なら秋でコナリーの哀愁がしみるのである。
春はもちろん、今年もコナリー始動だ!てなもんで、つまりは「アバタもえくぼ」もうなんでもいい、ってわけですな(苦笑)。

そんな私がコナリーの大好きなリンカーン弁弁護士シリーズを読むのである。最初から贔屓の引き倒し、身びいきも大概にしろ、なのだ。


今回は、リンカーン弁護士ことハラーが、特命検事を拝命する、というところから始まる。
このシチュエーションを「荒唐無稽」と書評で書いている人がいたが、アメリカの司法制度では、ままあることである。
日本の場合はあんまりないね。弾劾裁判所のときは国会議員が検事役だし、百条委員会も議員だし。
ちなみに、日本では判検交流といって、判事と検事はときどき場所を入れ替わる。お互いに相手の苦労がわかっていいだろう、ということである。その結果、判事は検事のことを思いやる美しい土壌ができて、世界に冠たる有罪率99%の裁判が生まれる。したがって、日本の弁護士は、不起訴にするのが最大の仕事であり、起訴されたら情状酌量を訴えて減刑を狙う裁判しかしない。無罪を訴えても確率1%の上、無罪主張は「反省なし」として求刑のまんま、量刑をくらってしまうのだ。ホリエモン裁判が典型だが、あれも罪を認めて反省の弁を述べていれば執行猶予だったろうと言われている。被告人のいうままに、無罪主張を行った弁護人は、このあたりの事情を説明をしたのだろうか?職業倫理上、気になるところである。

閑話休題
ハラー弁護士が特命検事を要請されたのは、12歳の少女に対する殺人で24年間服役中のジェサップ服役囚に対して再審が行われることになったからだ。
証拠品である犯行当時の被害者の服の精液痕からDNA検査が行われ、そのDNAがジェサップ服役囚のものではなく、被害者の義父のものだったことが判明したのである。
米国の検事長は選挙で選ばれるのであるが、自分でこの事件を扱うと傷がつくことを恐れた検事長は、選挙で対立する候補の検事にこの事件を扱わせるのも不利だと判断して、なんの利害関係もないハラー弁護士に特命検事を依頼したわけだ。
海外シリーズばかり読んでいると、こんな米国の司法制度について、しらないうちに概要を知っている羽目になる。

ハラー弁護士はこの依頼を受けるのだが、その基本方針は決まっている。「そもそも、事件当時から、精液痕が決め手になってジェサップが逮捕されたわけではない」つまり、新証拠が見つかったからといって、彼に対する疑いは晴れていない、というのだ。
そのハラー弁護士に、捜査員としてボッシュ刑事がつく。黄金のコンビ登場である。
ボッシュは、いつものネバリ強さで、24年前の目撃者を丹念に洗い始める。予想通り、ジェサップの嫌疑は濃厚だ。
しかし、保釈されたジェサップ陣営も、有力弁護士を入れて対策を練っている。
弁護側の戦術は、こちらの証人は信用出来ないと印象づけ、真犯人は被害者の義父ではないか?という疑いを訴えることであった。
裁判には、推定無罪の原則がある。
弁護側としては、義父が真犯人であるという確実な証拠は必要ない。
ただ、ジェサップ服役囚以外の人物が犯人だと疑うに十分だ、と言えれば、ジェサップ服役囚は「冤罪」の可能性がある。つまり、陪審員の判断で無罪になる。
アメリカの司法制度では、12人の陪審員が「有罪か無罪か」だけを争う。その12人は全員一致で有罪であれば、被疑者は有罪宣告を受ける。
陪審がもしも不一致だと、つまり「無罪の可能性がある」ので、推定無罪の原則で、被疑者は無罪となる。
弁護士はこれを狙う。

しかし、ハラー側も、これは読んでいた。2つの陣営が相手の手を読み合い、証人を奪い合う。
そして、裁判当日。ボッシュのアイディアで、全くモノ言わぬ証人が傍聴席の最前列に座って。。。


いやあ、いいねえ。
お話としては、いつものハードボイルドものというより、法廷ミステリの要素が強い。
大ファンであるボッシュとハラーの共演、さらには懐かしのレイチェル捜査官まで出てきてるとあっては、シリーズの読者としてはたまらんものがある。
ただ、いつものことながら、シリーズを連続して読まないと分からないような楽屋落ちの話はほとんどない。
つい、なにかの弾みに本書を手にとってしまった人でも、十分に楽しめる。
これぞ、コナリー流の真の読者サービスだろうと思う。

評価は☆☆。
やっぱり、いいんだよねえ。
ボッシュシリーズにあるような、悲しい都会の孤独感は、リンカーン弁護士にはない。
でも、それが持ち味なのだ。とにかくめげずに頑張るところが味なのだが、こちらもいいのである。

こういう本を読むと、また仕事を頑張ろうという気になるのである。
私の仕事なんて、別に画期的でもなく、ただひたすらに、おのれの無能さと格闘するだけのものなんだけど、それでも、また明日頑張ろうと思う。
都会で生きるとは、そういうことである。

また心が折れそうになったとき、いつか読んだボッシュを、リンカーン弁護士を読み返す。
そのときのために、これらの本は売らずに置いてある。
私が働き続ける間の支えがこれだ。
そういう読み方をする本もあるのである。