Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

三体Ⅲ死神永世

「三体Ⅲ死神永世」劉慈欣。

 

昨年末に「三体Ⅱ黒暗森林」を読んで、あまりの凄さに衝撃を受けたところ、知人が「三体Ⅲはさらにすごい」と教えてくれた。

私の考えでは「黒暗森林」は究極の回答で、あれを超えるともう地球を壊すしかないじゃないか、それじゃあ小説としては厳しいんじゃないかと思っていたのだ。

で、この連休を利用してどっぷり読んだ。

もちろん、地球は壊れていた(笑)しかし、そこに至るまでの道筋、さらにオチの付け方がすごすぎる。たしかにⅢでⅡを超えた。

このような長編小説で、1より2が、2より3が確実に「すごい、面白い」というのは稀有のことである。だいたい、途中で息切れする。前作を上回り続けた続編を書ききった著者に驚くほかない。

中華SF文学が完全に日本を超えたのか、それとも劉慈欣だけが特別な天才なのか?まあ、両方なのかもしれない。この熱量と雄大な構想は日本人では書けないように思う。

 

話はまさに前作の「黒暗森林」の続き。

黒暗森林理論で異星人の侵略に対して相互抑止をかけた人類は、その抑止の実行者に「執剣者」というのを選ぶ。この執剣者が最後のボタンを押す訳だ。

前作で黒暗森林理論を提唱したルオジーが老齢(100歳近く)になるまで務めていた職務だが、程心という名の若き女性科学者に交代する。

(プロローグで彼女に若い頃に一目惚れした同級生、雲天明は末期がんに侵されている。ほぼ全財産を投じて彼女に恒星を1つプレゼントしたあと、身体を失い脳だけになって宇宙空間にロケットで打ち出される。脳が三体艦隊を目指すことになったが、ロケットの制御に失敗し、その行方はわからない。実は雲天明をこの任務に推薦したのは程心である。彼女はあとになって、それを後悔している。このプロローグがあとで効く)

異星人は執剣者交代の直後に地球を攻撃する。程心がボタンを押せないであろうと見きっていたのである。暗黒抑止装置をすべて破壊し、地球人はオーストラリア大陸だけで生存を許されることになる。報復のボタンを押せる立場にあった程心だが、それを行うことはできず、良心の呵責に悩むことになる。

ところが、前作の黒暗森林の時代に地球に帰還せず深宇宙に逃亡していた宇宙船が、なんと三体異星人の攻撃を避けることに成功しており、報復の黒暗森林メッセージを全宇宙に送る。

三体人はこれで地球侵略を諦め、いずこかに去る。地球の滅亡が決まった、三体星と共倒れだというわけだ。そして、しばらく後に、三体星の爆散が観測された。

地球はつかのま平和が戻ったが、黒暗森林信号を発した以上、いずれどこか他の異星人の攻撃を受けることは確定している。地球人は「木星などの巨大惑星の影に隠れる掩体策」「光速の宇宙船を建造する策」「太陽系ごと光速を遅くして、ミニブラックホールのようになってしまい、どこからも侵略されず、こちらも外部に出られなくする閉鎖系の策」の3つの作戦を考える。そして、1の掩体策をとる。

そんなとき、程心のもとに、あの雲天明からメッセージが届く。彼は三体艦隊に発見されて、身体を取り戻していたのである。今は三体人のなかで暮らしているらしい。

彼ら二人は太陽系のはずれで三体人の監視付きの中で再会する。

具体的な情報は何も語れない雲天明は、かわりに不思議な童話を語る。彼が異世界で出版したという童話である。

実は、その童話のなかに隠されたメッセージがあるのだ。

地球人は、童話のなかのメッセージを解読して、暗黒森林攻撃を凌ぐことができるのか?

 

 

上下2冊のすごいボリュームなのだが、夢中で読んでしまう。

すごい。「次はどうなるんだ!?」という展開の連続。

これは完璧かつ最高ではないか。

評価は☆☆☆。

早くも今年ベストワンが出たような。

 

よい機会なので言っておきたい。

私が「支那を嫌っている」と思っている人は多いであろうが、それは違うのである。

私が嫌いなのは「中共」であって、支那ではない。

なぜ「中国」という言葉を使わないかというと、支那を「侮蔑語だ」という見解に賛同しないからである。少なくとも、本邦においては「中国銀行」は岡山県の銀行だし、「中国電力」は広島県本社ではないか。自国をどのように美称しようが構わないが、他国の言葉を奪うのは理が通らないと思うから、あえて支那という言葉を使っている。

ついでに言えば、シナチクも南シナ海も侮蔑語ではないのであって、シナチクを中国チクと呼び替える必要はないではないか。南中国海?あほらしいと思うのである。

それを「歴史の勉強不足」だと言うのであれば、「過去の歴史に囚われて無用な言葉狩りを行う」ことの不合理にも目覚めるべきではないかと思う。私の考えでは、言葉は非常に重いものであって、歴史よりも重いと考える。

そもそも、支那=chinaであり、その語源はchina=chin=秦であるぞ。キングダム。

 

ま、閑話休題

支那の文学の力強さは、まさに今や天を衝く勢いであると感じる。その支那は、これから成長が頭打ちになり、人口増加も止まる。高度成長が止まるのである。

そうなると、文学はどうなるか。たぶん、さらに豊穣な収穫が得られることになるのではないか。ただし、中共が、そんな文学を弾圧するような真似をしなければ、であるけれども。