Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

金融資本主義を超えて

「金融資本主義を超えて」岩瀬大輔。副題は「僕のハーバードMBA留学記」。

著者の岩瀬氏は、今は有名なライフネット生命の副社長を務めておられる。
氏のハーバードビジネススクールへの留学時代のブログに加筆してまとめたのが本書ということである。

いわゆるアメリカのビジネススクールを卒業するとMBA取得者という肩書きが手に入るわけである。
その中でもハーバードは、有名企業のCEOを多数輩出し「資本主義の士官学校」とさえ言われる。
在校生の出身国も経歴も様々であるが、ほとんどの学生は授業を「要領よく」こなし、学友との「人脈作り」にいそしむ。
卒業後に、彼らの人脈は大変な価値を生むわけである。
世界に名だたる企業の役員に同窓生として「やあ、どうも」と会いにいけるのだから、その威力や、おそるべし。
しかし、著者は、そのような主流の学生の動きに違和感を覚えたとのことで、真面目な学生とスタディグループを組むという道を選択する。

多様な価値観をもった学生達と交流する中で、著者が得たのは「プリンシプル」を持つ必要性だったという。
企業である以上、利益を追求しなければならない。
しかし、企業は社会から、有限責任であったり税法であったり、様々な便益を受けている。
それらを社会に還元する責任も負うはずだ。
それが著者の言う「プリンシプル」であったようだ。


評価は☆。
正直なところ、私とはプリンシプルが違うと思った(苦笑)。

本書の中にある、フリードマン教授による主張が面白い。
「企業は、利益確保に邁進するべきである」というのである。
その理由であるが、株主あるいは経営者が、社会貢献をするのは別に問題ない。
しかし、経営者がそれを行えば、株主という「他人のカネ」を使って、自分の考える「善行」を行っていることになる。
こんな勝手な話があろうか。
善行を積むのは、株主が自分のカネで勝手にやるべきもので、別に企業にやってもらう義理はない。
まして経営者なら、自分のカネでやれ。。。
というものだ。

著者自身も書いているように、この論理を崩すのは容易ではない。
確かに、株主は今や流動化しており、古典的な「企業と命運をともにする」存在ではない。
しかし、いかに短期的な株主とはいえ、その期待は「利益をあげること」であろう。(短期か長期かは異なるが)
株主から預かったカネは、収益をあげるために使わなければならないという主張のほうが、プリンシプルとしては遙かに明快である。
著者のいうプリンシプルは、私には納得性が薄いと感じられる次第である。

ただ、市場の売買というものを通じれば、経営者と株主の主張を裁定することは可能である。
「経営者は株主の言うことを聞かなければならない」は、成立しない。イヤだといえばいいのである。
すると、株主は、株を買い進めて経営者を首にするか、あるいは株を売り払って株主をやめるか、どちらかしかない。
どっちにしても、株主は自分の言い分の結果を受け入れなくてはならなくなる(株価の値下がりなど)。

であるから、経営者と株主の意向が食い違っても、一向に構わない、ということになる。
おのずと、落ち着くところに落ち着くしかないのである。

そういう見方をすれば、世の中は、特定の誰かの意図を陰謀論よろしく操って、自分のおもうままに操縦することは不可能である。
(数学的にも3名以上のゲーム理論で証明できる)

こだわるも、こだわらないも、どっちでも良い、というのがオチである。
まあ、そんなものじゃないでしょうかね。