Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

規制を変えれば電気も足りる

「規制を変えれば電気も足りる」原英史。

著者は経産省出身の脱藩官僚で、我が国のあちこちに残っているヘンテコな規制がなぜ残っているのか、その実体を解説した本である。

まず冒頭で「学校の階段には、なぜ必ず踊り場があるのか?」を説明している。
たしかに、どういうわけか学校の階段には必ず踊り場がある。
これは、「合わせ技一本」の規制のおかげなのである。
まず、建築基準法で「3メートルを超える階段には、必ず踊り場を設けること」が決められている。
そうでないと、落ちたときに高さがあって危ないからである。ここまでは、わかる。
で、学校だが「天上の高さは3メートル以上」と決められているのだ。
天上の高さが3メートルあるんだから、階段の高さは必ず3メートル以上になり、よって踊り場が出来るわけである。
で、その「天上高3メートル」だが、ずいぶん高い。だから、一般のビル建築よりも、学校の建築費は高くなる。
天井高3メートルが決まったのは、実はなんと明治時代(!)の話なのである。
当時の暖房は石炭ストーブである。どうしても換気が悪いと、教室内の空気が悪くなるし、子供が中毒になっては大変だ。
そこで、天井高3メートルにして、換気不足による事故を防ぐ措置をとった、、、のだそうだ。
しかし、今や、全館冷暖房の学校もあるし、そもそも石炭ストーブなど使っていないところがほとんどである。
こんな天井高規制は変更しても良いのだが、とにかくいったん決まったら、規制の撤廃は容易でない。
かくして、そのままのルールが現在に至り、今でも学校には必ず踊り場がある、、、という次第。
ま、こんな話がたくさん出てくる。

標題の例は、停電時の規制の話である。
停電になっても、自家発電で動いている工場やビルは多い。あの六本木ヒルズも、東日本大震災のときでも停電していない。
地下にガスタービン発電所をもっていて、電力は自分でまかなうからである。
そうなると、近所の六本木の住民は、ヒルズに電気を分けてもらえば助かるのだが、実はそうはいかない。
「停電時に逆潮流電力を流してはならない」という規制があるからである。
よって、大型ビルや工場の余剰電力を動員すれば、あの広域停電も相当避けられたのであるが、できなかったわけである。
まあ、この規制は、日本の系統連携の技術がスマートメーター化が進んでおらず、逆潮流の電力をうまく制御できないことに原因があると思う。
原子力という「ベースロード電源」ありき、の思想だからだ。
ドイツも米国も、再エネの比率が高まるにつれて逆潮流を細かく(エリアと時間)制御する必要が出てきているので、スマートメーターで非常に短いスパンで系統を切り替える技術が進んできている。
一方、いまだに日本は原発再稼働議論で、やれ賛成の反対のとやっている。
これで、世界の電力技術から取り残されていくこと間違いなしだろう。
ガラケー液晶テレビ、メモリに続いて、またもや負けである。なんのことはない、規制に守られた国内市場でヌクヌクやっているうちに、世界は進んでいるというだけの話である。
挙げ句に、日本メーカーがそれでやられてしまうと「米国の陰謀だ、ユダ金の陰謀だ、グローバリズムは悪だ」と言い出す。
馬鹿な経営をしたから馬鹿な結果が出ただけの話を、なにをいってやがる。

評価は☆☆。
こんな本も、たまにはいいんじゃないですかねえ。

時あたかも、東京都内では都議選の真っ最中である。
本書にもあるが、選挙も、その後の議員立法も、規制のオンパレードである。
さきの都知事選のときであるが、小池候補と泡沫某候補の演説が、あるJR駅前で鉢合わせした。
そこで、泡沫某候補が、そのまま小池候補に公開討論を挑んだ。
しかし、小池候補は応じずに「どうか、ご健闘をお祈りします」と挨拶して退散。
泡沫某候補の支持者は「小池は逃げた、たいしたことない」と勝利宣言(苦笑)。
実は、これに応じると、小池候補は最悪の場合、選挙違反で当選がフイになってしまうから、無視しただけなのだ。
公職選挙法の規定で決まっているのであるが、選挙期間中の演説会は「個人演説会」「政党演説会」「政党等演説会」の3種しかない。
公開討論会は、この3種のいずれにも該当しないのでダメである。やったら選挙違反だ。
泡沫某候補は、今まで選挙活動の経験が乏しく、これらの規定を知らなかったのだろう。
当然、小池候補はよく知っているので、スルーしただけのことなのである。

なお、規制というのではないが、泡沫候補扱いされたくなかったら、まず地方選で議員になって、党派を持つことである。
地方議員でも良いのだが、複数の推薦がつけば、マスメディアも泡沫扱いしないという暗黙のルールがある。
いきなり国会議員だの知事だのに立候補する前に、まず市議会に出るべきなのだ。
できれば、2~3人の無党派を束ねて統一会派をつくり、そこから首長を目指す。しごく当たり前の方法である。
「めんどくさいから地方議員なんかヤラネ」という候補には冷たいのは仕方がない。

そもそも、なんでこんな規制があるか、といえば、ほぼ官僚のためなのである。
これを規制緩和してくれ、という話になれば「原則として~」の例外扱いをすることになる。
手っ取り早い方法は、天下りということになる。
今話題の加計学園の話も、おそらくその類の話であろう。
政治家は選挙で洗礼を受けることになるが、役人には選挙はない。

この国の規制は、いっぺん、とことん棚卸ししてみるべきなんだと思いますなあ。